<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
	>
<channel>
	<title>社会人経験と臨床能力の関連について改めて考えてみよう へのコメント</title>
	<atom:link href="http://blog.rote.jp/2008/03/11-073000.php/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://blog.rote.jp/2008/03/11-073000.php</link>
	<description>総合病院精神科勤務の（自称臨床心理学者な）臨床心理士が仕事や研究その他について語ってみる</description>
	<lastBuildDate>Fri, 27 Jan 2012 14:40:39 +0000</lastBuildDate>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
		<item>
		<title>セーイチ より</title>
		<link>http://blog.rote.jp/2008/03/11-073000.php/comment-page-1/#comment-9366</link>
		<dc:creator>セーイチ</dc:creator>
		<pubDate>Thu, 13 Mar 2008 01:59:27 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://www.rotemeister.sakura.ne.jp/wordpress/2008/03/11-073000.php#comment-9366</guid>
		<description>こんにちは。わざわざ一つのエントリーを立ち上げてくれてありがとうございます。
かなり要領よくまとめられているので、僕の仲でもスッキリしました。
「何を」というところが重要ではなく、「どのように感じるか」ということが重要ということですね。
ちょっと連想したことですが、一人の人間が経験できることなんて、この全世界の事物に比べたら小さいものだろうと思います。
そのすべてを経験することは非現実的ですが、未知の体験をした時に、それを自分とは関連がないと切り捨てるのか、それとも自分のとの関係の中で意味を見出すのかによって、同じ経験をしていても、そこで起こるプロセスは全く違うのでしょう。
そして、それはクライエントという目の前の人をどのように体験し、どのように理解し、どのように意味づけするのかということに繋がってくるのかなと思いました。
その辺り、精神分析なんかでは、ちょっと妄想的・自己愛的とも言えるほど、クライエントとセラピストとの繋がりを見出そうとしますが（笑）。これなんかも、極端ですが、どのように体験するのか、ということの一例かもしれないなと思いました。
「社会人経験」という話からはかなりズレてしまったところもあるかもしれませんが、とりあえずこの辺で。
</description>
		<content:encoded><![CDATA[							<p>
							こんにちは。わざわざ一つのエントリーを立ち上げてくれてありがとうございます。<br />
							かなり要領よくまとめられているので、僕の仲でもスッキリしました。<br />
							「何を」というところが重要ではなく、「どのように感じるか」ということが重要ということですね。<br />
							ちょっと連想したことですが、一人の人間が経験できることなんて、この全世界の事物に比べたら小さいものだろうと思います。<br />
							そのすべてを経験することは非現実的ですが、未知の体験をした時に、それを自分とは関連がないと切り捨てるのか、それとも自分のとの関係の中で意味を見出すのかによって、同じ経験をしていても、そこで起こるプロセスは全く違うのでしょう。<br />
							そして、それはクライエントという目の前の人をどのように体験し、どのように理解し、どのように意味づけするのかということに繋がってくるのかなと思いました。<br />
							その辺り、精神分析なんかでは、ちょっと妄想的・自己愛的とも言えるほど、クライエントとセラピストとの繋がりを見出そうとしますが（笑）。これなんかも、極端ですが、どのように体験するのか、ということの一例かもしれないなと思いました。<br />
							「社会人経験」という話からはかなりズレてしまったところもあるかもしれませんが、とりあえずこの辺で。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>rhox2001 より</title>
		<link>http://blog.rote.jp/2008/03/11-073000.php/comment-page-1/#comment-9365</link>
		<dc:creator>rhox2001</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 12 Mar 2008 14:14:25 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://www.rotemeister.sakura.ne.jp/wordpress/2008/03/11-073000.php#comment-9365</guid>
		<description>経験は当人の咀嚼の仕方次第というのは、認知療法の基礎的な部分のように感じます。まぁ臨床能力との関連はいまいち分らないのですが…（主観的な問題ですし）
これは臨床能力とはあまり関係無いかもしれませんが、クライエントさんのバックボーンを知るという上で、色んな経験が有効なのかと思いました。文献で知るのと体験では、より「共感」しやすいという意味で。
あとこれも臨床能力と関係ないような気がするのですが、あまり同じことばかりを経験するのは、ヒューリスティックな思考を助長するような気がします。
　
</description>
		<content:encoded><![CDATA[							<p>
							経験は当人の咀嚼の仕方次第というのは、認知療法の基礎的な部分のように感じます。まぁ臨床能力との関連はいまいち分らないのですが…（主観的な問題ですし）<br />
							これは臨床能力とはあまり関係無いかもしれませんが、クライエントさんのバックボーンを知るという上で、色んな経験が有効なのかと思いました。文献で知るのと体験では、より「共感」しやすいという意味で。<br />
							あとこれも臨床能力と関係ないような気がするのですが、あまり同じことばかりを経験するのは、ヒューリスティックな思考を助長するような気がします。<br />
							　</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>デスマ より</title>
		<link>http://blog.rote.jp/2008/03/11-073000.php/comment-page-1/#comment-9364</link>
		<dc:creator>デスマ</dc:creator>
		<pubDate>Tue, 11 Mar 2008 02:06:29 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://www.rotemeister.sakura.ne.jp/wordpress/2008/03/11-073000.php#comment-9364</guid>
		<description>経験まったく関係ない、とは、
私も思いませんね。
心理臨床のウデ＝（経験そのもの）×（それを咀嚼するその人の力）＋その他の要素
なのだと思います。
経験がいくらあっても、
それを自分の中で咀嚼していく力が低いと、
それはそれでダメなのだと思います。
だから、年長だったり、
心理臨床経験ウン十年とかでも
たいしたことないカウンセラーが、
存在するのだと思います。
また、心理学の理論を学ぶことは、
後者の（経験を咀嚼する力）の係数を
上げるための方法の有力な一つ、
だと思うんですよね。
理論によって、経験はかなり整理されて、
クライエントのために有効な用い方ができるように
促進されるとは思います。
（経験を咀嚼するための主たる方法として、
心理学を用いるのが心理職なのだと思います。）
ただし経験そのものが皆無に等しいと、
やはり、その人は大したことないカウンセラー、
頭でっかちのカウンセラーになってしまうと思うのです。
まったく経験したことがないことを想像するのは難しいので、
経験のバリエーションは
やはり必要と思います。
絵の具にたとえると、説明しやすいかもです。
パレットの中に、ある程度の色がそろってないと、
混ぜ合わせて、クライエントの色に近いものを
何とか作ろうとしても、
それには限度があるのですよね。きっと。
「会社員としての社会人経験」という色をもっている人は、
そうでない人よりは、その方面の色は出しやすいでしょう。
しかし、そのものズバリの色は、そのクライエントさんしかもたないので、
いずれにしても微調整が必要で、
そのまま塗りつけるようなことはしてはいけませんよね。
逆に、「会社員としての経験」色の絵の具はなくても、
近い色があれば、何とか表現できますし、
色の混ぜ合わせが繊細でうまい人であれば、
十分いけると思います。
絵の具の色の数＝経験
絵の具を合わせる力＝経験を咀嚼する力
と考えれば、
たとえやすいように思いますが、
いかがでしょうか。
</description>
		<content:encoded><![CDATA[							<p>
							経験まったく関係ない、とは、<br />
							私も思いませんね。<br />
							心理臨床のウデ＝（経験そのもの）×（それを咀嚼するその人の力）＋その他の要素<br />
							なのだと思います。<br />
							経験がいくらあっても、<br />
							それを自分の中で咀嚼していく力が低いと、<br />
							それはそれでダメなのだと思います。<br />
							だから、年長だったり、<br />
							心理臨床経験ウン十年とかでも<br />
							たいしたことないカウンセラーが、<br />
							存在するのだと思います。<br />
							また、心理学の理論を学ぶことは、<br />
							後者の（経験を咀嚼する力）の係数を<br />
							上げるための方法の有力な一つ、<br />
							だと思うんですよね。<br />
							理論によって、経験はかなり整理されて、<br />
							クライエントのために有効な用い方ができるように<br />
							促進されるとは思います。<br />
							（経験を咀嚼するための主たる方法として、<br />
							心理学を用いるのが心理職なのだと思います。）<br />
							ただし経験そのものが皆無に等しいと、<br />
							やはり、その人は大したことないカウンセラー、<br />
							頭でっかちのカウンセラーになってしまうと思うのです。<br />
							まったく経験したことがないことを想像するのは難しいので、<br />
							経験のバリエーションは<br />
							やはり必要と思います。<br />
							絵の具にたとえると、説明しやすいかもです。<br />
							パレットの中に、ある程度の色がそろってないと、<br />
							混ぜ合わせて、クライエントの色に近いものを<br />
							何とか作ろうとしても、<br />
							それには限度があるのですよね。きっと。<br />
							「会社員としての社会人経験」という色をもっている人は、<br />
							そうでない人よりは、その方面の色は出しやすいでしょう。<br />
							しかし、そのものズバリの色は、そのクライエントさんしかもたないので、<br />
							いずれにしても微調整が必要で、<br />
							そのまま塗りつけるようなことはしてはいけませんよね。<br />
							逆に、「会社員としての経験」色の絵の具はなくても、<br />
							近い色があれば、何とか表現できますし、<br />
							色の混ぜ合わせが繊細でうまい人であれば、<br />
							十分いけると思います。<br />
							絵の具の色の数＝経験<br />
							絵の具を合わせる力＝経験を咀嚼する力<br />
							と考えれば、<br />
							たとえやすいように思いますが、<br />
							いかがでしょうか。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
</channel>
</rss>

