臨床心理学

「ゆとり教育」からの脱却…大変けっこうなことで

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さて、今朝の新聞の一面にこんな記事が載っていました。

 

Yahoo!ニュースより




 

この「ゆとり教育」ってやつ、河合○雄が一枚(二枚、三枚くらい?)噛んでいたんですよね。確か。私も教育畑の人間ではないとはいえ、必ずしも無関係ではないと思うし、言いたいこともあるんでちょっと触れてみます。

 


てか、これってすごく良いことだと思われます。基本的に「ゆとり教育」なんてものは糞食らえです。教えることを減らす→落ちこぼれが出なくなるって思考がそもそも短絡的なわけで。

記事を引用すると

 中山文部科学相は読売新聞のインタビューに応じ、学習指導要領の見直しなどに関する見解を明らかにした。

 現行の要領については、「内容の削減はともかく、授業時間の削減はよくなかった」と述べ、「ゆとり」教育の問題点が授業時間を減らした点にあるとの考えを示した。

とありますが、いやいや「内容の削減」もよくないから。

さらに引用すると

 授業時間や教科内容を削減し「自ら学び、自ら考える力を養う」ことを目指し、2002年に小中学校で導入したばかりの新学習指導要領の目玉であるゆとり教育の全面的な見直し方針は、学校現場の混乱を招きそうだ。

とありますが、いやいや「内容の削減」が「自ら学び、自ら考える力を養う」ことに繋がるわけじゃないから。

これは大学・大学院での心理学教育にも関連することですが、「詰め込み教育」イコール「悪」というわけではないと思うんですよ。私は研究することの重要性を説きつつ、散々「自ら考えること」の重要性を強調してきたわけですが、そういった「考える力」ってのは「知識の蓄積」があってこそ生かされるものなんじゃないでしょうか。

学部教育での基礎的な心理学の知識だったりがないと(臨床心理学的研究であっても)研究なんてできないし、そもそも参考文献なしで「自ら考えること」だけで論を組み立てていくことなど不可能です。知識があることで研究の質が高まることだってあり得ます。

で、重要なのは「詰め込み教育」が肌に合わない人をどうするか、もっと言えば「勉強に向いてない人」をどうするかってことなんじゃないかと思います。どんなに内容を削減したってついていけない子ってのは絶対出てきます。結局、評価軸が「勉強できるか」「できないか」ということだけなのが問題なのであり、もっと別なところに親なり、教師なり、そして子ども自身が価値を見いだせれば無問題なんじゃないですかね?

ここから話はまた強引に心理学教育の方に持っていきたいと思うんですが、心理臨床の現場で働きたい学生の中にもいますよね。英語だったり、統計だったり、あるいは他の分野の心理学的知識だったり、下手すると臨床心理学的知識ですらも身につけることができない人。それはできるかもしれないけど、逆にどうしても「考える力」の身につかない人。そういう人は他の分野で価値を見出す、つまり心理臨床に関しては早めに引導を渡して諦めてもらうということも大事なんじゃないでしょうか

人の可能性ってのは信じたいと思うし、あんまり「素質」とかそういう話には持っていきたくないんだけど、どうしたって「お前は向かない」って人いますもん。本来であれば、大学院ってのがそういう人を振り落とすというそれなりに健全なシステムが働いていたはずなんだけどなぁ…

またまた話はもどりますが、やっぱり「教育内容の削減」なんてことをしてる時点で方向性がズレズレなわけです。どうせ勉強する(あるいはさせられる)子は塾行って詰め込まれるんだし。むしろ、教えることに関してそうやって塾に丸投げする方が問題だと思うんだけどなぁ(たしか同じ審議会で数年前「塾」の存在が認められたとかって話もありましたよね)。

正直、学問の分野に頭の悪い奴はいらねえ。そして臨床心理学というのもまた学問なんだよな。

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