研究と臨床

「データをムダにしない」ってことから考えてみる

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これから卒論のための調査・実験をしようという人たちへ(これから修論って人はさすがにこの辺は大丈夫…だと思いますが…)。これは研究について具体的にどこまで言及するのか?(06/04/18)のコメント欄ですえぞうさんとちょこっと話していることでもあります。
データを無駄にしたくなうと思うのなら、できるだけ緻密な研究計画を立てましょうよ。
ええ、これはもう当たり前すぎる話なんですが…この辺をおろそかに考えている人、いたりしないですかね?
安易な探索的研究はやめましょうよ。てか「何か見られたらいいと思う」じゃ、どんな結果が出たってうまく考察できないですよ。逆にちゃんとした仮説を立てて、ちゃんとした研究計画を立てていれば統計的に有意な結果が出なくてもいくらでも考察できると思うのですよ。
すえぞうさんもおっしゃていますが、「データをとらせてもらっている」という意識があれば「データをムダにしたくない」ではなく、「(最初から)ムダなデータはとらない」と考えられるんじゃないかと思うんですが…。
研究計画を考えるってのは研究の醍醐味の一つであり、そこで手を抜くことはその研究の成否に関わってくるわけで、おろそかにはできないはず…と言っても、失敗するのが恐くてなかなか調査・実験が開始できないってのもそれはそれで困りものですが(ええ、私の修論時代がまさにそうでした)。
この辺、今さらって感じもしますが、やっぱ大切なところですよね。
で、これって臨床実践にも似たようなことが言えるのではないかと思うのですよ。


どんなにベテランであってもそうでしょうし初心者ならなおさらだと思いますが、臨床実践の中でクライエント・患者から直接学ぶことは非常に多いでしょう。その意味では「面接させてもらっている」「アセスメントさせてもらっている」という意識ってのは大事なのではないかと思うですよ。
そういう意識を持っていれば、例えばある治療技法に関して「使いたいから使う」なんてことは言えないと思うのですよ。
少なくとも「なぜその治療技法を使うのか」「なぜその場面でそのような対応をしたのか」「なぜそのクライエントに対してそのアセスメント技法を使うのか」を他者にも理解できる形で言語で表現するというのは、最低限必要なことであり、それができないというのはその患者・クライエントに対してものすごく失礼なことなのではないでしょうか。
研究する中でデータをムダにしてしまうような輩は、臨床実践においても色んなものをムダにしてしまうのではないかと思います。臨床場面では思考の瞬発力が要求されますが、研究はじっくり腰を据えて考えることが可能です。また、臨床実践に比べて研究はこちら側がコントロール可能な変数が多く、その意味では実は楽な部分は多々あるのではないかと思いますよ。
そんなわけで結論。
研究ができないような奴に臨床はできねぇ
「早く修論書き終わって臨床だけやりたーい(はあと)」なんて奴は臨床やらないでくれ。お願い。マジで。

…病み上がりなので今ひとつキレの書ける文章ですが、その辺は病み上がりってことでご勘弁を。

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