研究と臨床

「役に立たない研究」は存在するのか?

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心理学関連のエントリをここ何日か書いていなかったので、少し真面目に更新(…しかし、心理学関連の内容なんて毎日毎日書けるものでもなく…そういうサイト・ブログを管理されている方には頭が下がりますです)。
さて、ネット上でもリアルでもそうなんですけど「役に立たない研究はダメだ」とか「研究するからには役に立たないと」とかいう研究者の方がいらっしゃいます。まあ、聞いた限りでは「ごもっとも」と思いますよね。
でも「役に立たない研究」って本当に存在するのでしょうか?私は「役に立つ/立たない」って結局相対的なものでしかないと思うのですよ。
ある分野ではどんなにすごい研究であったとしても、他の学問分野の人たち、あるいは一般の人々からしたら「何それ?」ってことはよくあると思います。逆に、一般層からの注目が高く、パッと見では役に立つように思えても、専門家からすると「なんだそれ?」的な研究もあるでしょう(○ーム脳とかゲ○ム脳とかゲー○脳とかゲーム脳とか)。
「役に立たない」ということについても同様で、ある人から見て「役に立たない」研究が他の人からすれば「役に立つ」ということだって往々にしてあるはずです。
…と考えると「役に立つ研究がしたい」ってのはどういうことかな?なんて考えてみたりもします。それってひょっとして「金になる研究がしたい」ってことだったりして。心理の分野でそうそう「金になる研究」ができるとは思えませんが…。あるいは「人の役に立ちたい!」ってことかもしれませんね…まあそれはそれでいいでしょう(個人的にはあまり好きじゃないですが、それは個人的な感情なので)。
ぶっちゃけ研究の動機なんて「知りたいから」ってことで十分なんじゃないですか?
そりゃあ論文にまとめる時、「問題」とか「目的」のところでは、当然それらしいことを書くでしょう。んでもそれ以前の動機の部分では「知りたい」ってことがあれば十分だと思います。
今すぐ役に立たない研究でもあっても、いつか時代の流れとともに意義を持ってくるかもしれません。また、やってる当人が「役にたたねぇかもなぁ」と思っていても、ひょっとしたら他の誰かにとっては非常に意義のある研究かもしれません。
浦沢直樹のMASTERキートン(これは傑作!)のあるエピソードで(巻数もタイトルも失念してしまいますた…)、図書館で調べ物をしている主人公キートン、どうしても見たい資料があって図書館司書にお願いするのだけれど、閉館間際に面倒な仕事を押しつけられて司書も機嫌が悪くて…という場面がありました。最後、手続き上必要であったため出されたキートンの身分証明書を見て図書館司書の態度は一変します。彼が感銘を受けて考古学者を志すきっかけとなった、その論文を書いたのがキートンであった…という。
これ、エピソードとしては地味ですが、この下りが個人的に好きだったりします(ご興味のある方はどーぞ↓文庫版の方が手に入りやすいかも)。
※大筋はこんな感じでした。今、手元に単行本がないので若干間違い・記憶違いはあるかも。

4091816916 MASTERキートン (1)
勝鹿 北星 浦沢 直樹

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まあ英語で論文を書いていれば、キートンのように世界のどこかで誰かが興味を持ってくれるかもしれないわけです。そこまでいかずとも日本語でもきちんと発表して形にまとめさえしていれば、日本のどこかで、いつか誰かが興味を持ってくれるかもしません。いつかどこかでその研究は「役に立つ研究」になるかもしれないのです。
ですから、その研究が「役に立つか/立たないか」に関わらず、まずはまとめてみることが大事だと思うのですよ。繰り返しになりますが、「役に立つ/立たない」なんてのは相対的な問題でしかないのですから。
もちろん、その研究がちゃんとした方法論だったり、思考法に基づいていて、倫理的観点からも問題がなければ…という前提はありますけどね。


…って書いてから気づいたのですが、これは単に私の研究が役に立たないことの言い訳のようにも思えてきました
まあその辺はあまりツッコミを入れない方向でおながいします。

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