臨床心理学

「日常的にカウンセリングを利用してもらいたい!」なんてことを言う人へ

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たまにいますよね。「みんなが日常的に、気軽にカウンセリングを利用できるような世の中になってほしい!」なんてことを言う人。
で、思ったのですよ。こんなことを言う人は自分が気軽にカウンセリングをしたいだけなんじゃないか?って。


確かに「気軽なカウンセリング」というのも、あって悪いものではないかもしれません。それによって何らかの援助を受けることができる人もいるかもしれないし、「よりよく生きる」ことができるかもしれません。
ただ、「気軽なカウンセリング」をしようと思ったら、「気軽じゃないカウンセリング」をするのと同じくらい(場合によってはそれ以上の)能力が必要になるはずなのです。(非医師の)心理療法家・カウンセラーは当然のことながら自分で薬を処方することができません。だからこそ、なおさら厳密なアセスメントが必要になるのです。
7/7のエントリ、本日の素敵発言@mixi某コミュでも同じようなことを書きましたが、最低限のアセスメントをするための医学的・心理学的知識をもたないままにカウンセリングなどの相談行為に携わるのは、そのクライエントに迷惑がかかる可能性を考えると犯罪に等しい行為と言っても過言ではないと思います。統合失調症の前駆症状に気づかないまま延々とカウンセリングを続けるなんて悲劇は起こしてはいけないのですよ。
本当に能力のある人がそれを言うならまだいいんです。ちゃんとした医学的・心理学的知識を身につけており、高度な専門的技術を持った人ならば。ただ、そういう人は「日常的に!」なんてことを言えるほど暇ではないはずです。

で、そもそも「日常的にカウンセリングを利用できる世の中」ってそんなに良いものですか?
もちろん、例えば精神科に受診することに対する抵抗だったり偏見だったりが未だに根強く残っているということは私も知ってますし、それは今後、何らかの形で解消していく必要があるとは思います。心理療法だったり、カウンセリングが本当に必要な人がそれらにアクセスしやすい世の中というのは、今後目指すべき一つの形ではあるかもしれません。でも、それと「日常的にカウンセリングが利用できる」ってのは別の話ですよね?
「日常的にカウンセリングを利用する」というのは、従来は信頼できる友人なり家族なりに相談していたことをカウンセラーに相談するということになるのでしょうか?だとしたら、それって彼女がいないから風俗に行きますってのとどう違うんでしょうか?
別に私は性風俗産業を否定するわけではありませんし、むしろ(以下ロテ職人の家内安全のために自粛)。また、家族や友人には相談できないようなこともあるかもしれません(でもそれって「日常的」なことなのか?)。でも、そこで安易に「カウンセリング」という道を用意してしまうことの意味を、「日常的に~」と口にする人たちには考えてほしいと思うのです。
この意味では、小沢牧子氏が述べていることも一理あるかな、とは思います。

4896916158 「心の専門家」はいらない
小沢 牧子

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↑いまさら…という感じもしないでもないですが、未読の方はどーぞ。それなりに面白いです。一般向けの書籍ですのでさらっと読めます。

以上をふまえての結論。
「日常的にカウンセリングを利用してもらいたい」なんて言うエセカウンセラーの皆様。この世から消えてください。また、そのようなことを考えている学生さん、あるいは非専門家の素人さん。そのことが持つ意味を今一度考えてみてください。
ロテ職人からのお願いでございました。

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