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「議論のしかた」と「詭弁のガイドライン」 その1

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昨日のエントリ、ネット上の議論における感情表現ですが、議論のやり方に関してはほんと言いたいことが山ほどあるのです。山ほどあるのですが、私はあんまり頭がよくないので(基本的に論理的に話を進めるというのは苦手な方なので…訓練はされているはずなんですがねぇ…)、うまくまとめられないのですよね。
…と思って検索していたらこんなウェブページを見つけました。
議論のしかた
恐らくソフトウェア開発を仕事にされているであろうiwatamさんという方のサイトの1コーナーなのですが、「議論に関してロテ職人の言いたいことは全て書かれています!」というくらいしっかりまとめてくださっています。
とにかくネットに何らかの書き込みをされる全ての方に是非とも読んでいただきたい内容が満載です。文章は長いかもしれませんが、簡潔に書かれているので大変読みやすいです。ホント、まじお薦めです。
というわけで、ちょっくら引用しつつ私の意見なども述べていきたいと思います。


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1. はじめに より

ネットの掲示板では「議論は悪いものだ」という風潮があります。多くの掲示板の注意書きでは「議論禁止」と書いてありますし、何がしかの議論が始まると「板が荒れた」と称してなんとかやめさせようとします。しかしよく考えてほしいのです。議論ってそんなに悪いものなのでしょうか?

あー、ありますねぇ、そういうの。特にブログが爆発的に広まってからというもの、そういうのが目につくようになりました。

議論が嫌がられるのは議論そのものが悪いからではありません。議論のやり方が悪いのです。多くの日本人は正しい議論のやり方を学んでいません。だから議論がすぐ良くない方向に行ってしまうのです。

私は匿名掲示板での議論の中で、経験的に議論の方法を学んできたような気がします。今ではそういうイメージをもたれる方は少なくなったかもしれませんが、匿名掲示板は「公衆便所の落書き」などと揶揄されることがしばしばあります。
ただ、やり方によっては匿名掲示板でも(あるいは匿名掲示板だからこその)有意義な議論ができる可能性はあるのですよね。そして実際私も「有意義な議論が出来た」という実感を持ったことがあります。
私は自分のブログをそういう場所にしたいと思っていますし、そのつもりで運営してきました。ただ、そんな中でも徹底していなかった部分は多々あるなぁと今回、上記リンク先の文章を読んで思った次第であります。あと、「匿名掲示板仕込み」の良くない部分は改善していく必要があるなぁとも思いましたです。
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2. 議論の種類 より

討論の目的は何でしょう?参加者にとっては相手側を言い負かすことです。そして観客にとっては双方の言い分を聞いてどっちがより正しい事を言っているかを判定することです。最終的には観客による判定によって勝ち負けが決まります。

討論や議決はある問題を解決するためのものでした。それに対して、問題を解決するためのものではない議論をここでは「対話」と呼びます。対話の目的は同じテーマで話し合ってお互いに理解を深めることです。

討論や議決と違い、対話では勝ち負けはありません。「どちらの意見が正しい」という判断はもちろんしても構いませんが、しなくてもいいのです。ただ単にいろんな意見を聞き自分で考えてみるのです。

そうそう!
たまに私のことを「ディベートが得意な人」と思ってらっしゃる方がいたりするのですが(実際、あるブログでそう紹介されているのを見たことがあります)、私はここで言うところの「討論」がしたいのではないのですよ。「対話」がしたいのですよ。
私は自分の意見・考えをより深めるために皆さんからのご意見が欲しいと(基本的には)いつも思っているつもりです。それは否定的な意見は受け入れないということではなく、何度か述べている通り、おかしいところはおかしいと指摘して欲しいし、その批判が妥当なものであればいくらでも受け入れたいと思っているのです。
それは何よりも私自身のためになることなのですから。
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3. 議論の精神 より

議論とは何かを簡潔に答えよと言われたら私は次の一文を挙げます。

議論とは人の意見を聞いて理解する場である。

実践するのはなかなか難しい事ではありますが、どういう議論が良いものかを考えるための出発点としては適切な言葉です。

昨日のエントリでも取り上げた
心理職に向いていない人をふるいにかける(07/04/20)
のコメント欄でのやりとりで、私が一貫しておこなってきたのは、まさにこのこと、「阿世賀さんのおっしゃっていることを理解しよう」という努力でした。

議論とは皆で質問の答を考えていこうというプロセスです。それは参加者による共同作業であり、世間一般に思われている対立のイメージとは全く別のものです。そしてそれは「人の意見を聞いて理解する」という基本原理から来ているものです。

そうなんですよねぇ…。

人の主観というのは案外あてにならないものです。間違った事を勝手に思い込んでいたり、感情的に受け入れられない意見を無条件で拒否したりしてしまいます。あなたが出した意見に対して「なぜあなたはそう言うのですか?」と言われた時、筋道だててその理由が説明できるでしょうか?これが出来ないとしたら、あなたの意見はもしかしたら勝手な思い込みであり、間違っているのかもしれません。

そうそう!(←そればっかりで芸がないなぁ…)
私の意見だって間違っている可能性は大いにあるのです。「勝手な思いこみ」であり「間違っている」かもしれません。それを何とかしたいと思っているからこそ、私はこのブログを運営しているのだと思います。

議論とは出された意見を理解する場です。そして理解できない個所はどんどん質問をします。そして最終的に出された意見を皆が理解しようとします。質問と回答の繰り返しこそが議論の本質です。

だから、質問に対して明確な回答がないと議論は進展しないし、話が全く理解できないのですよね。そして阿世賀さんのように意図的にかどうかはわかりませんが、質問に回答されないまま別の話をされると話は拡散していくだけなのですよね。
「勝ち負け」を決めるための「討論」ならばそういったテクニックも有効なのかもしれませんが、そこには「相互理解」なんてあり得ません。どちらも降参しなければ、それこそ「泥仕合」「焦土戦」にしかなりませんし、それは建設的ではないので私はやりたくありません(つか、時間の無駄ですからね)。
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4. 発言の自由 より

質問に答えるのは「礼儀」です。いわば「老人に席を譲りましょう」のようなものです。席は譲るべきなのですが、譲らなかったからといって文句を言ってはいけません。同様に、質問に答えてもらえなかったからといって文句を言ってはいけません。(自分も含めて)残っている人達でその質問の答を考えましょう。その結果「もとの発言はどう考えても矛盾があるから間違った発言だ」という結論になることもあります。その場合は元発言を忘れてしまえばいいのです。

確かに礼儀に欠ける人に対して文句を言っても仕方ないですよね。質問しても答えてくれないんだから、そういう場合は無視するのに限るわけですが、相手にしてしまう私が悪いのですよね。
うーむ、反省しなくては…。

そして議論の作法に基づいて質問に答えてくれず暴言を繰り返すようなら、それは「暴言だから」という理由ではなく、「議論をするつもりがないから」という理由で抗議しましょう。

私も人間ですから、そりゃ議論の中で腹が立ったり嫌な思いをしたりすることはあります。反論に対してそう思うことはそんなにありませんが、質問に対して答えていただけず暴言を吐かれてはやはり嫌な気持ちになりますわなぁ。
そんな時「議論するつもりがないなら」という理由で抗議できるようになりたいものです。
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なんかやたらと長くなりそうなので、とりあえずこの辺で切ります。続きはまた明日!(つか「詭弁のガイドライン」には全く触れられなかった…)
とにかく皆さん、上記リンク先の文章、一通り全部読んでみてください。私と阿世賀さんのやりとりを見てモヤモヤされていた方もすっきりするはずです。お願いします。

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