研究と臨床

【誰か】博士課程の学生がいない大学院ってどうなの?【教えて】

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ぶっちゃけて聞いちゃいます。博士課程の学生がいない大学院ってどうなんでしょうか?
…ということを考えたのはこのブログのこのエントリがきっかけでした。


ひろぼうCP日記大学
かなり気になったので私の方でコメントさせていただき、その後ひろぼうさんが修正されたのですが、当初本文にはこのように書かれておりました。

うちはD在籍がほとんどいません。歴代で就職が決まらず、大学に残った人は誰もいないんです。

これってどう読んでも「博士課程は就職が決まらない人がいくところである」というように読めてしまうのですが…ひろぼうさんはそういう意図はしていなかったとおっしゃっていますが、じゃあどんな意図で書かれていたのでしょうか?マジでわかんないっす。
まあ、世の中には「就職が決まらないから博士課程でも行くっぺか」なんて人もいるかもしれませんが、そもそもそういう輩は論外ですよね。
で、最初の質問に戻りますが博士課程の学生がいない大学院ってどうなんでしょうか?
私の出身大学院は研究者養成の色合いが強いところだったので「博士課程の学生がいない」という状況はそもそも経験したことがありません。で個人的な経験としては、院生時代に研究や臨床の上で師匠から学んだことももちろんたくさんあるのですが、それ以上に博士課程に在籍している先輩から教えてもらったことって、今の自分にもんのすごい影響を与えているような気にするのですよね。
そんなわけで改めて「大学院とはなんぞや?」ということを調べてみました。
大学院 - Wikipedia
ついでにこれも…
大学院大学 - Wikipedia
ふむ…

博士前期課程、修士課程は、「広い視野に立つて精深な学識を授け、専攻分野における研究能力又はこれに加えて高度の専門性が求められる職業を担うための卓越した能力を培うこと」を目的している。

博士後期課程・後期3年博士課程は、「専攻分野について、研究者として自立して研究活動を行い、又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うこと」を目的としている。

だそうです。
前者に関してはその業務の一つとして「調査・研究」を掲げているという臨床心理士資格の理念を踏まえると、その目的の一つとして「専攻分野における研究能力を養うこと」が挙げられているってのは妥当なところでしょうな。
そして博士課程はより高度な研究能力を身につけるところである…と。
ここで最初の質問、博士課程の学生がいない大学院ってどうなんでしょうか?ってことについて私なりに考えてみたいと思います。
やはり大学院というのは研究者養成機関であり、同時に研究機関なのだと思います。で、私は別に博士課程に行っているから偉いとか言うつもりはありませんし、むしろ臨床心理学という学問に限定して考えれば現場にこそ貴重なデータは存在しているわけで、修士課程修了者であっても現場にいる人が研究を続けていかなければ臨床心理学という学問は成立しえないと思っています。
でも博士課程の学生がいない大学院ってのは、ぶっちゃけ研究機関としての魅力がないってことでしょ?そして「就職が決まらなかった人がいないから博士課程の学生がいない」って発言が出るってことは、ぶっちゃけ「修士課程を専門学校扱いしている」ってことなんじゃないですか?
それって大学院のあり方としてはどうよ?と思うわけなのですよね。
ちなみに別にひろぼうさんの修了された大学院を貶めようって気はさらさらないです。純粋に冒頭の質問に対する皆様の意見が聞きたいだけです。上記の私の考えが間違っているのであれば訂正していただきたいのです。
ただ、個人的な意見を言わせてもらえば、「実習先が余るくらい過多」だったり「就職先が決まらない人はいない」ってのはそりゃ素敵なことですが、「就職先が決まらない人がいなかったから博士課程の学生がいない」ってのはあまり誇らしげに書くべきことではないのではないかとは思いますけどね。
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あ、ちなみに専門職大学院についてはこれまた別の問題ですのであしからず。
cf. 専門職大学院 - Wikipedia
専門職大学院関連過去ログ
専門職大学院=臨床心理士の質の決定的な低下~こんな大学院はダメダメだ!Vol4(05/09/03)
専門職大学院とは(05/09/04)
気になる「アレ」の件。南の方の「アレ」(06/03/15)
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皆様のご意見お待ちしております。

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