12日のエントリ、自身の臨床実践についてブログでどこまで書くのか?そして倫理がらみの本、13日のエントリ、人の命を扱っているのだということに対する自覚をと立て続けに臨床家の倫理に関するエントリをアップしたわけですが、あまりにもタイムリーにあまりにも酷いブログを見つけてしまいました。
見つけたというか、以前から存在は知っていて読み流していたのですが(その時も酷いと思った記憶があります)、今回はちょっと酷すぎです。
ただ、ひょっとしたらそう感じる私の感覚の方がおかしいという可能性もなきにしもあらずです。ですので、皆さんのご意見をうかがいたいと思いこの記事をアップする次第。
問題のブログはこちら
※リンク外しました
12/13(水)のエントリより(※リンク外しました)
今朝8時7分にカウンセリングの予約をしていた。
その女子大生、まだ来ていない。 もう、来ないと思う。
「起きられなかった・・・」などということだろう。
こんなのが、社会で働くなどということが可能なのだろうか?
そんな無責任なねえちゃんを採用するところがあるのだろうか?
ステキです。いきなり「ねえちゃん」呼ばわりです。
初めてではない。
朝、起きられないねえちゃんは、かならず年に何人かいる。
自宅から通っていても、アパートくらしでも、どっちでも起きられない奴はいる。
なぜ起きられないかというと、寝る時間が遅いからだ。
なぜ寝る時間が遅くなるかというと、勉強に熱中しすぎて・・、ではない。
たいしたことではない、ヤル必要もないようなことにうつつを抜かしているからだ。
(希に、深夜の仕事をしている例がある)
なぜ深夜までどうでもいいようなことをして起きているのかというと、特にやるべきことがないからだ。やることがなかったら寝てしまえばよさそうなものだが、若い命というのはそういうものではない。何かを求めて命はさまよっているのだ。
なんだかものすごい断定した言い方してますが、これはご本人に聞いたのでしょうかね?それだったらまだいいんですが、「若い命というのはそういうものではない」「何かを求めて命はさまよっているのだ」って辺りを読む限りでは、これはこのブログ主の理想に基づいた決めつけである可能性が考えられます。
確かに時間を守らなかったのはクライエントのミスでしょう。それでは就職して働くのが難しいと言われたら、それもそうかもしれません。
だからって誰にでも閲覧可能なブログでそういう事実があったことを公表する必要なんてないじゃないですか?
※ちなみに「精神分析的な見方をすると、寝坊だったりキャンセルだったりは一種の行動化であり、よくあること…」なんてのは一応私もわかっておりますので、ここでそういう講釈はいりません。ここで問題にしたいのはそういうことではないのです。一応、念のため。件のブログ主はそういう視点を持っているかどうか知りませんけど、とりあえず講釈したいのであればここではなく向こうでどうぞ>講釈したい人
自分の臨床実践の内容をブログに書くのがなぜいけないかは、上で挙げた過去ログで述べていることなのでここでは繰り返しません。
で、この方の暴走は続きます。
本日のエントリより(※リンク外しました)
一昨日の朝8時7分に面談の約束をし、完全無視してやってこなかった学生が、昨日の午後にやってきた。
「学校を休んでしまったので、これませんでした。すみません。」
私「いいよ、いいよ、無理しないで生きるという生き方もあるんだ。だだ、こんどからは、向こうで相談してね。」
向こうというのは、キャリアカウンセリングルーム以外の2人のスタッフのこと。
まあ、オレはサジを投げたんだ、という宣言だな。
しばらく立ちつくしていたけど、無言のまま帰って行った。
ウソついて、寝坊していて、それでいて競争に勝って就職しようなどという根性が間違っている。
12月になって、「なぜ、朝起きられないのか」などというカウンセリングをしていたのでは、卒業までに間に合わない。
てか、タイトルから「ウソつき」呼ばわりです。すげえ。これ、当のクライエントが読んだらどう思いますかね?
それとも当のクライエントが反省するようにわざとやってるんでしょうか?だとしたら最低ですよね。
で、もっとすごいのがこの程度のことで「サジを投げる」、そしてそれを(婉曲な表現ではあるけれども)「宣言する」…
…えーとキャリアカウンセリングってそんなんでできるんですか?
だったら私もやりたいなあ。「クライエントがウソついてキャンセル→サジ投げ出す」、すごい楽そうでいいですね(棒読み)。
この人、何者なんでしょうか?ブログのプロフィール(※リンク外しました)を見るとこう書いてあります。
学生相手に15年。自分のやってた仕事がキャリアカウンセリングというものだと知ったのが3年前。相談件数年間3000人。多忙、苦悩の日々を(ときどき)綴ります。
15年もこんなことやってきてるんだ…。てか15年やってこれですか…。すげえ恐い話ですね。
一応、当該エントリのコメント欄ではこんなコメントもなされています。
クライエントさんとのやり取りなどをネット上で公開することは倫理的に問題があるような気もしますが・・・。老婆心ながらコメントさせてもらいました。
ちなみにこのコメントを投稿したのは私ではありませんが、私もきっと同じことを書くでしょう。これで自分の行動が間違っていたことに気づいて相応の対処をするのであれば、私もこのエントリを書こうとは思いませんでした。その衝撃のコメント返信。
ご忠告感謝します。 とてもむずかしいところです。 やりとりを書かないと、全然説得力ないし・・・ 相当脚色してある内容だと思っていただければ幸いです。
えーと…これは誰に対してのどんな説得力ですか?これが授業だったりしたら、それは説得力を持たせる必要はあるのかもしれませんが(でも事例をそのままは出さんでしょうね)、そうじゃないですよね。ブログ書くのなんて、ある意味では自己満足のためじゃないですか。自己満足のためのブログで「説得力を持たせるため」という理由でクライエントとのやりとりを公開してしまうという一点だけでも、このブログ主が持っている倫理観を疑わざるを得ません。
で、ここでもう一つ問題があるのですが、どことは言いませんがこの方、多分自分の顔が映った画像をブログに貼ってますよね?(もしあれが他人の画像だったとしたら、それはそれで問題だと思います)…ということは知ってる人(それこそこの方のクライエントとか)が見れば、すぐ個人特定できるわけですよね?さらに、「相当脚色してある内容」だとしても、少なくともこの方が思ったこと、感じたことは脚色しないですよね?
てことは、もし書かれているエピソードが完全に創作だったとしても、その当人はそう考える、そう感じるってのは事実なわけで…ご自身のクライエントが読んだらどう思うでしょうね?
別にそう感じることがいけないとは言いません。で、何でそれをブログで公開する必要があるんでしょうか?
…
とにかく酷すぎると思うわけですが…そう思ってしまう私がおかしいのでしょうか?皆さんのご意見、お聞かせ下さい。
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