臨床心理学

ダメな修論は遠慮なく落とした方が世のため人のため その2

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昨日のエントリ、ダメな修論は遠慮なく落とした方が世のため人のため その1の続き。未読の方はまずはそちらから。
確かに、今恐らく修論まっただ中であろうM2の学生さんにとっては厳しい言葉だとは思うのです。
でもね、やっぱり落とされた方が世のため人のためだし、何よりも自分のためだと思いますよ。
なんて言っている私、実は修論で一度落とされた人だったりします


※以下、私の自分語りが続きます。ウザいと思う方はブラウザを閉じていただけたらと。
色んなところで書いてますが、私にとって院生時代は正に暗黒時代でした。自業自得なんですが、とにかくダメ院生だったと思います。私は師匠の弟子の中でも屈指のダメ弟子であったことを自覚しております。
確かに当時、忙しいと言えば忙しかったかもしれません。週2日(9:00-17:00)で単科の精神科で非常勤(という名の研修)をしてましたし、週1日(9:00-17:00)は総合病院の精神科でやはり非常勤(という名の研修)をやってました。相談室のケースはもちろん、毎週相談室のカンファレンスはあるし、グループSVもあったし、院生だけのケース検討会もありました。さらに研究法に関する学生の自主的な勉強会(立ち上げたのは先輩です)もあり、それらの準備もそこそこ忙しかったです。で、あとは大学院の授業はもちろんありました…
…なんか書いてて「やっぱ結構忙しいじゃん」と思わないでもないですが、でも他の学生も同じ条件でやっていたわけです。
で、何より私は師匠と顔を合わせるのがとにかく嫌でした。今ではそれなりに良好な関係(だと思います)ですが、当時は本当にもう…とにかく大学行きたくないし、やらなければならないことがない時はもう自分のアパート(あるいは誰かのアパート)でゴロゴロしてました。多分「できない自分」と直面させられることが嫌だったんじゃないかと思います。
そんな状況でまともに研究なんてできるわけもなく…なんとかギリギリで書いた修論を師匠(=指導教官)に見せずに提出という暴挙に出てしまいました。
当然のことながら内容はボロボロ。研究2までの内容は正に「卒論レベル」。当然のように提出後の教官会議で落とされてしまいましたとさ。

…でも、今にして思えば…当時もそう思っていましたが落とされてよかったと思います。未だに臨床家として・研究者として三流以下の私ですが、もしあの時まかりまちがって修論が通ってしまっていたら、今よりももっとひどい状況になっていたはずです。
少なくとも私は落とされたことで「研究することの意味」だったり「研究のあり方」なんかを模索する時間ができたと思っています。
そういうことを考えずに安直な修論が通ってしまうことは、やはり危険だと思うのです。少なくとも私の経験に照らし合わせてみる限りではそういうことが言えるんじゃないかな、と。

そしてその次の年、研究3と4を足してなんとか形にして(その過程でもまたすったもんだはありましたが)、修士論文を書き上げることができましたとさ。

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