資格問題

ネット上で匿名で資格問題について論じること

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1ヶ月ほど更新が止まっていた臨床心理職の国家資格のための緊急ブログ(通称緊ブロ)が先日リニューアルして再起動しました。そして心理職の国家資格化実現検討委員会の管理者であるつなでさんが、ネット上での議論をとりまとめる作業に入られたようです(っていうのはオフレコじゃないですよね?)。
ただネット上で、しかも匿名で心理職の国家資格問題について論ずるというのは、どんな意味を持つのか皆さんは考えたことがありますか?
当ブログの9/18のエントリ、ブログの力2~『のまねこ』問題と心理職国家資格化問題と、9/21のエントリ、それができないからこそのブログでありでは、今年の日本心理学会で資格関連のワークショップが開かれた際に、全心協の会員である某先生から

「インターネットで無責任に資格問題を論じているブログがある。正しい情報はぜんしんきょうのHPで発表するから、そういうブログの情報を信じないで欲しい」

という内容の発言があったことを批判的に取り上げました。
もちろんこうした発言は論外だと思いますが、今後もネット上で議論を続けるのであれば、そして、その内容をまとめてどこかに出そうとするのであれば、こうした議論の持つ意味は考えなければならないと思うのですよ。
以下はあくまでも私個人の意見です。反論のある方もいらっしゃると思います。個人的には是非とも反論コメントいただけたらと思います。


結論から言うと、私はネット上での匿名での議論はあくまでも「匿名の」、そしてあくまでの「ネット上での」での議論でしかないと思っています。公の場で、実名でもってなされる議論とはやはり重みは異なると思います。
「文句があるなら正々堂々と実名で言え」というのは正論でしょう。共に論理的な破綻がないという条件であれば、実名対匿名の議論になった場合、明らかに匿名での発言は不利です。やはり実名での発言というのはより大きな責任を伴うものなわけですから。
現実世界へのアピールという意味では、ネット上での匿名での議論というのは、やはり現実世界での実名での発言にはかないませんよ。どんなにその内容が豊かなものであったとしても。
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ただ現在、資格問題に関しては既に学問的視点だったり、クライエント・患者へのサービスだったりと言った本質的な部分から外れて、精神医学界や基礎系心理学との対立構造などの問題を含んだ政治的な問題になってしまっていると思います(ひっじょーにアホらしい話ですが…)。
そうなってくると、(例えば学会などといった)公の場で、実名でなされる発言というのは、その背景に政治的な判断が必要になってきます。実名で発言することのリスク・そして責任はいっそう重くなるはずです。
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じゃあ、そんな中でネット上で議論する意味ってのはどこにあるのか?…と言われると、結局「個人個人の中で考えをまとめる」「個人個人が考えをまとめるための糧にする」というところに落ち着くのではないかと思うのです。
まあ、それだってものすごく重要な、そして絶対に必要なことではあるんですけどね。
組織のトップの人だってつきつめれば「一個人」に還元されるわけで、その意味ではネット上の議論が組織のあり方に影響を与えることもないわけではないでしょう。でも、それも結局「個人」の問題だと思うのです。
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あと、こうした匿名での議論をすることで政治的しがらみを取り去って、本質的な議論ができるという利点もあるでしょう。これもまた絶対に必要なことです…が、それが現実世界へどの程度フォードバックされるのか、どの程度影響を与えるのかというと…なかなか難しいところなのではないかと思うのですよね。
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とダラダラ書いてみましたが、私の言いたいことはご理解いただけましたでしょうか?
この件に関しては是非ともつなでさんや緊ブロ管理者のこころしかくさんのご意見をおうかがいしたいところでございます。他の方もお暇でしたらコメントしてくださいな。

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