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ネット上の議論における感情表現

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07/04/20のエントリ、心理職に向いていない人をふるいにかけるのコメント欄での議論…いや、結局「議論」は成立してないですね。そのコメント欄でのやりとりの中でも述べてはいるのですが、改めて自分の考えをちょこっとまとめてみたいと思います(あ、暇な人はよかったらコメント欄でどんなやりとりがあったのか読んでみてください。もちろん続けてコメントくださるのも歓迎いたします)。
最初に結論から言っちゃいましょう。
ネット上の議論における感情表現は、相互理解を妨げるノイズにしかならない」と私は思っています。


当ブログでは何度も何度も言ってきていることですし、多くの皆さんが実感されていることだと思いますが、ネット上のやりとりは対面でのコミュニケーションと比較して伝達可能な情報量は極端に制限されます。
特に感情をありのままに伝えるというのは、はっきり言って不可能だと思います。
もちろん議論の中で色々な感情はわき上がってくるのは当たり前の話です。そして確かに「楽しいです」「うれしいです」「腹が立ちます」「いらだっています」「悲しいです」「傷つきました」と表現することも可能です。
しかしそれを表現したからと言って、表情などの視覚的要素、声の調子などの聴覚的要素が削ぎ落とされた中で、その感情がどれだけ伝わるでしょうか?対面での面接でも難しいことなのに、ネットを介してしまってはエスパーでもない限りは相手の感情を本当にわかるなんてできないでしょう。
で、それを逆手にとってしまえば、反論されて何も言い返せなくなった時、「負けたくない」と思った時(議論は勝ち負けではないのですけれどもね)には、「傷つきました」ととりあえず言っておけば、自分の頭で考えることのできないギャラリーを味方にすることができるし、発言した本人も何か良いことを言ったような気分になったりする…ということも考えられるわけです。
なぜ傷ついたのか具体的な理由を述べることができ、それが大多数から理解可能な、妥当な理由であれば「傷つきました」という発言にも意味はあるかもしれませんが、単に「反論されて傷つきました」ではやはり他の方からの理解は得られにくいでしょう。
…と考えていくと、その「傷つきました」が本当なのかどうなのか検証不可能である以上、やはりそのように感情を表現することは意味がないということになると思います。
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で、冒頭でも述べたようにそれは「ノイズ」であり、議論の内容を理解する上では邪魔な要因でしかないとも思います。
ネット上で「感情」を伝えることができないとなると、じゃあ何を伝えられるのかというと、発言の「内容」そのものしかないのではないでしょうか。ただ、この「内容」を伝えるというのも、それはそれで一筋縄ではいきません。
用いられる単語・用語・概念だったりの定義が全ての人に共通するものならば「内容」は容易に伝わるはずなのですが、必ずしもそうではなかったりするのですよね。「自分にとって普通だと思われることが、他人とっては普通ではない」場合があるからこそ、自分と相手が使っている言葉の意味を明確にしながら、確認しながらでないと、議論は成立しえないでしょう。
で、議論をしているメンバー全員がそれをできる人であればいいんですが、現実はなかなかそうもいかず…。前述のエントリのコメント欄での阿世賀浩一郎さんのように、論理が破綻していたり、その破綻した論理に基づいた文脈理解を自明のものとしていたり(=自分にとっての普通が相手にとっての普通だと思いこんでいたり)、あるいは用語の定義を明確にしないまま自分なりの定義で話を進めてしまったりする人は少なくなかったりします。
そんな中で、内容の伝達に不必要な「感情」表現があったりすると、もうこれは邪魔以外の何物でもないと思うのです。無駄に議論を長くする、内容の理解を困難にする「ノイズ」でしかないと思うのですよね。
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しかし、まともな心理学徒であれば、本来そうした「ノイズ」を排除しながら文章を書く訓練はしているはずですよね?
卒論や修論を考えてみてくださいよ。調査・実験なんかをやって、その結果や考察で「有意差が出なくて悲しかった」とか書かないでしょう?もちろん、実際には苦しい思いや悔しい思いや悲しい思いをしながらやっていたとしても、それは結果を相手に伝える上では、つまり伝えたいことを伝える上では「ノイズ」にしかなりません。
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さらに言ってしまえば、「自分にとっての普通が相手にとっては普通じゃないかもしれない」という感覚は、心理臨床実践においても必要不可欠なものなのではないかと思いますし、まともな臨床家であればその辺についての訓練もされているように思うのですがねぇ…。
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というわけで結論としましては
「ネット上の議論において感情表現は内容理解を妨げるノイズにしかならないので、建設的な議論を目指すのであれば出来る限り避ける方が良い」
という感じでしょうか。
勝ち負けを決めるような、議論のための議論、ディベートなんかだったりすると、ひょっとしたら戦略として感情表現をするってこともありなのかもしれませんが、そういうのは私にとっては生産的でないように思われます。
何かご意見、ご感想などありましたら遠慮なくコメントいただきたく存じます。
※追記

阿世賀浩一郎さんのように、論理が破綻していたり、その破綻した論理に基づいた文脈理解を自明のものとしていたり(=自分にとっての普通が相手にとっての普通だと思いこんでいたり)、あるいは用語の定義を明確にしないまま自分なりの定義で話を進めてしまったりする人

と書いてしまいましたが、私自身にもそういった部分はあったかもしれません。ただ、言い訳になってしまうかもしれませんが、自分自身ではなかなか気づかないことではあると思うのです。ですので、もし私の発言の中で上記のような傾向が見られる部分がありましたら具体的にそれをご指摘いただければ大変うれしいです。そうしていただくことは今後の私にとってプラスになるのですから。

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