資格問題

国家資格化関連の“平井正三”氏からのコメントに応えてみる

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先日、RSS(私が管理している相互RSSの更新情報を貼付けてあるページ)のコメント欄に“平井正三”氏より国家資格化関連のコメントをいただきました。

…コメントくださった“平井正三”氏が「あの」平井正三氏なのか、あるいは平井正三氏を騙る別人なのか、はたまた同姓同名の別人なのかはわかりませんが、ともあれコメント全文をご紹介。

新潟県臨床心理会のサイトにある「意見交換」に関するブロク読みました。ロテ職人さんの書いている論旨はおおよそ把握できたように思うのですが、それはすべて初めに「国家資格化」ありきという論法ではないですか?

国家資格化に同意するにしても、これ以上は譲れない条件はありますよね。それが、ある臨床心理士にとっては、現行の「臨床心理士」制度とは「多少」異なっていてもかまわないと考える人もいれば、そうではなく、現在の「臨床心理士」制度と異なってしまうのは、クライエントへの利益にかなわないので、それは譲れないよ考える人もいるはずですよね。だってそもそも現行の「臨床心理士」の制度が公益に十分資するものであると判断する人が臨床心理士になっているのではないですか?後者の主張をする人を一律に「既得権益を守ろうとする人」とするの言論封殺、全体主義であると言えば言いすぎでしょうか。

ロテ職人さんは、臨床心理士の発信する言説の中では、比較的「良識」を代表するとみなされているように思います。しかし、それでも、今の日本の臨床心理士コミュニティを毒しているように思われる日本型全体主義の色彩があるように感じてしまいます。初めに戦争=資格化遂行ありき、異論はすべて非国民=既得権益を守ろうとする人という図式があるように思うのですがいかがでしょうか?

(※読みやすいように改行は若干改変)

コメントをいただいたページへの返信ですと読者の皆様にはアクセスし辛いことと思いますので、こちらのエントリをもって返信にかえさせていただきます。

さて…

「新潟県臨床心理会のサイトにある「意見交換」に関する」というのはこちらの一連の記事ですよね。

新潟県臨床心理士会のサイトにある「日本臨床心理士会との意見交換報告」を読んでみた その1(13/02/07)
新潟県臨床心理士会のサイトにある「日本臨床心理士会との意見交換報告」を読んでみた その2(13/02/08)
新潟県臨床心理士会のサイトにある「日本臨床心理士会との意見交換報告」を読んでみた その3(13/02/19)

…今気づいたんですが、サーバ移転前の記事の中の画像リンクが全て404になってしまってますね…。これ、直すのめんどくせえ…ってのは置いといて…

ロテ職人さんの書いている論旨はおおよそ把握できたように思うのですが、それはすべて初めに「国家資格化」ありきという論法ではないですか?

これまでこのブログで何度か述べていることの繰り返しになっていますが、今一度、私の「国家資格化」…というか心理職の国家資格創設に対する基本的姿勢を表明しておきたいと思います(余談ですが私は「国家資格化」という言葉がまずダメだと思います。なぜなら「化」ってことは既存の何かを国家資格にするということなので)。

私は心理職の国家資格創設の一連の流れについては「正直どうでもいい」と思っております。その理由は、恐らく国家資格創設がなされたところで、自分としてはそれほど大きな変化がないと思われるからです。

大きな変化がないであろうというのは、「心理師(仮)」が「汎用性」を謳った資格であり、そして現行の臨床心理士資格が何らかの形で存続し続けると予想されるというところから来ております。

現状の臨床心理士資格の制度をひっくり返すのはまず無理だと思いますよ。そして「汎用性」を謳っている限り、それは「最低限の質の高さ」しか保証し得ません。結果として、国家資格の「心理師(仮)」は持っていて当たり前で、その上で他のどんな関連資格を持っているかが重要になってくるのではないかと考えられます。

その上で…

国家資格化に同意するにしても、これ以上は譲れない条件はありますよね。

はい。当然、私にもそれはあります。

私にとっての「これ以上は譲れない条件」、それは「現状でクライエントが得ている利益が損なわれないこと」、この一点に尽きます。

これは私の個人的な予測ですが、心理職の国家資格創設がなされることによって、クライエントが心理職にアクセスしやすくなるというのは確実にあると思います。ただし「アクセスしやすくなる」というのはそのまま「質の高い心理職にアクセスしやすくなる」ことを意味するわけではないとも思います。

「心理師(仮)」資格によって、最低限の質の高さは保証した上で、他にどんな資格を持っているのかということがクライエントが(あるいは心理職を採用する側が)心理職を選ぶ際の一つの基準になる…みたいな形になるんじゃないでしょうか?…それは少なくとも「現状でクライエントが得ている利益が損なわれること」には繋がらないと私は思います。

ここで注意していただきたいことが一点あります。それは私が現行の臨床心理士制度を「臨床心理職としての質の高さ」を保証すると考えているわけではない、ということです。現行の臨床心理士制度には、その養成課程を中心として問題点が山のようにあると思います。

この点についてもこのブログでは過去に何度か述べておりますので、そちらをご参照のこと…。

ぼくのかんがえたりそうのりんしょうしんりしようせいかてい(06/03/03)
ぼくのかんがえたりそうのりんしょうしんりしようせいかてい その2(06/03/05)
ぼくのかんがえたりそうのりんしょうしんりしようせいかてい その3(06/03/06)
私の考える理想の臨床心理士養成課程Vol.1(06/03/20)
私の考える理想の臨床心理士養成課程Vol.2(06/08/03)
私の考える理想の臨床心理士養成課程Vol.3(06/08/16)

というわけで

だってそもそも現行の「臨床心理士」の制度が公益に十分資するものであると判断する人が臨床心理士になっているのではないですか?

について、現行の臨床心理士資格を有する私ですが、少なくとも「公益に十分資するものである」とは判断しておりません。

「公益に十分資するものではないから、資格の更新はしません!」と言えるのが理想なのかもしれませんが、今の私はそれをして食っていけるだけの、臨床家・研究者としての能力の高さもネームバリューの高さも持ち合わせておりません。そんなわけで食っていくための最低条件として、とりあえず今の私にとっては臨床心理士資格を手放すことはできないのです。そういう意味では、私も十分に「既得権益」の恩恵にあずかっている臨床心理士の一人ではあると言えるのですが。

そして

現在の「臨床心理士」制度と異なってしまうのは、クライエントへの利益にかなわないので、それは譲れないよ考える人もいるはず

後者の主張をする人を一律に「既得権益を守ろうとする人」とするの言論封殺、全体主義であると言えば言いすぎでしょうか。

とのことですが、私は「現行の臨床心理士制度と異なってしまうのは、クライエントへの利益にかなわないので、それは譲れない」と考えている人がいるのは別に構わないと思います。ただ、その理由で国家資格創設を反対するのであれば、まずはその「クライエントへの利益にかなわない」と考える、その根拠を明確に示して欲しいのです。

そうした根拠が示されていない、あるいは示されていたとしても論理的に破綻していたり、あるいは根拠として弱かったとしたらならば、それは自身の既得権益を守るために反対しているのだと思われても仕方がないのではないか?と私は言いたいわけです。

私は言論封殺したいわけではありません。むしろ、資格制度を少しでも良いもの(マシなもの?)にするため、その成立過程で積極的な議論は必要不可欠であると思っております。もしそうした議論の中で、現状の必ずしも十分とは言い難い臨床心理士制度がメインの状況と比較しても、明らかにクライエントの利益が損なわれる可能性があるのだということが明確な根拠に基づいて示されるのであれば、私はいつでも反対派に回ります。特に具体的には、新たな国家資格の創設によって「自分が臨床心理士資格保持者である」ということを何らかの形で示すことが出来なくなるのであれば、私は完全に反対派になるでしょう。なぜならそれは「クライエントにとって選択の際の基準が減ってしまう」という明らかな不利益が生じることになるからです。

この辺りについては、上記の新潟県臨床心理士会のサイトにある「日本臨床心理士会との意見交換報告」を読んでみた その2なんかでも言ってることの繰り返しなんじゃないかと思うわけなんですが…。

ともあれ、私の立場として「初めに国家資格化ありき」「異論はすべて既得権益を守ろうとする人」ではないということを“平井正三”氏におかれましてはおわかりいただけますと幸いでございます。

また、もし以後コメント等いただけるということであれば、こちらのエントリにコメントいただけますとありがたく存じます(twitterとかでもいいですが)。

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