臨床心理学

泣く医者・泣くカウンセラー

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院生の時、他の大学の院と合同で行ったケースカンファレンスがありました。他大学の院生が発表していたのですが、その中で「クライエントの話を聴いて面接場面で泣いた」という話をしていました。
カンファレンス終了後、院の先輩に「あれってどうなんですかね?」という話をしたところ、「泣くのはどうかと思うけど、クライエントさんの話を聴いて泣ける感性を持った人、うちの院にはどれくらいいるかねぇ?」とおっしゃっておりましたよ。
今考えても、面接中に泣くというのは適度な距離が取れていないということだし、これはケースバイケースですが、クライエントさんにとって「泣く」ということがどんな意味を持っているのか、共感的に聴きながら考えるということをしていたら恐らく泣いている余裕なんてないと思うのですよね。
そんなわけで面接中に泣くカウンセラー・心理療法家というのはプロとしていかがなものかと思います。
で、先輩が言っていたように、そうした「感性」というか「共感性」は大事です。もちろんそれは元々持っている資質としてだけではなく、訓練次第で磨いていけるものだとも思います。
…という話を思い出したのは、めんたるへるしー BLOGの11/8のエントリ、『カスガ先生の答えのない悩み相談室』を読んで。で紹介されている以下の記事を読んだからなのでした。
医学書院 - 週刊医学新聞
カスガ先生の答えのない悩み相談室 第2回
カスガ先生の答えのない悩み相談室 第5回


私が常々主張しているようなところ(こことかこことかこことかここなんかで書いてます)とかなり重なる部分があり、思わずモニターの前でうなづきながら読んでしまいました。
私もそんな医者、あるいは同業者が身近にいたら「鬱陶しい奴」と思います。
個人的に気に入った部分をちょっと引用してみますよ。

 思い入れの強すぎる医療者は危険です。相手と自分との区別がつかなくなります。自分の考えを相手に強要し,相手をコントロールせずにはいられません。「相手のため」と「自分のため」とが混同されると,あたかも一石二鳥のように思えるかもしれませんが,大間違いです。なぜなら,実際のところ医者と患者とは対等でないからです。主導権は医師が握っている。そのような関係性においてコントロール願望を満たそうとするのは犯罪です。自分と他人とはまったく別な存在であることを前提に,あくまでも治療契約を介してさまざまな応援を図るといった姿勢こそが誠実なのだと思います。愛だとか献身的態度だとか篤実な振る舞いと「コントロール願望」とを区別しない生き方は賛成できません。そのような人は新興宗教でも始めたほうが似合っています。

(第2回より)
一節丸ごと引用しまいましたが激しく同意!ですよ。
臨床心理学を志すきっかけとして自分の問題があるのは別にいいと思うのです。研究だって興味がある内容じゃないと続かないのは至極当然のことですし、そういう意味では自分に関係することが研究テーマになっているのは、まあ当たり前のことかと。
ただ、前提条件として「その問題が解決しており、自分の問題が臨床実践に悪影響を及ぼさない」ということは必須なわけですが。
そんなわけで思い入れはあってもいいけど、自分の問題を解決していないと他人の問題は扱えない(というか扱うのは倫理的にどーよ?)ということになりますな。

 「泣く子と地頭には勝てぬ」ではありませんが,泣いてしまうと事態はそこでストップしてしまいます。周囲も困惑します。泣くことは構わないから,その代わり家に帰ってから泣くべきなのです。時と場所をわきまえぬから鬱陶しいのであり,泣いている人間は一介の医療者からアンタッチャブルな存在に切り替わってしまうので困るのです。

(第5回より)
そーそー。泣くなら家に帰って泣け!と。

 偏狭な経験主義といったものがあります。例えば「お前は健康なくせに,癌になった俺の苦しみがわかってたまるか!」とか,「統合失調症で入院したことのない奴が,統合失調症の患者に精神療法をしたり処方をするなんておこがましい!」などという論法のことです。なるほどこうしたロジックはある意味では正しい。癌の医者や統合失調症の医者のほうが,患者の気持ちをよりリアルに理解することは可能でしょう。ただし,共感のみが医療のすべてではない。他人事だからこそ冷静に判断を下したり,多少なりとも辛い手術や処置をきちんと行うことができる。偏狭な経験主義には,ある種の自己愛にも似た傲慢さがあるのです。

(第5回より)
あぁ…これまた激しく同意です。どんなに共感できたとしても(あるいは共感したふりをしたとしても)、それはどこまで行っても他人事であり、他人事だからこそ扱えるという部分はありますなぁ。

次第でとにかく「泣く」には時と場所をわきまえるべきであり,それをしなかったら鬱陶しいと思われることがあっても仕方がない,ということです。

(第5回より)
そのとーりでございますよ。
そういえば、また院生時代のことを思い出しました。私がケースカンファで発表した時、これまた別の先輩に「ここで素のロテ君になってるよね」と言われたなぁ…と。
自分で言うのも申し訳ないというか、ほんとに何なのですが、素の私はかなり優しいです。でも、臨床場面でその素の優しさが出てきてしまうというのは、春日氏の言うところ「ある種の自己愛にも似た傲慢さ」があると思うのですよね。
プロだからこそ技術に徹するというのは、時に冷たい印象を持たれてしまうかもしれませんが、それはプロとしては必要最低限のことだと思います。んなわけで日常場面と臨床場面の区別もつけられないでいるような臨床家(自称)・カウンセラー(自称)はs(以下自粛
最後にせっかくなんで春日氏の著書へのリンクを貼っておきますよ。

407245351X 統合失調症―最新の薬物療法とその他の治療法、患者のための社会福祉制度ガイド
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前にご紹介した際には結構ご購入いただきましたが、なかなか良い本です。一般向けですが、それだけにわかりやすい言葉で書かれており、心理教育なんかをする人はかなり参考になると思います。

4260333283 援助者必携 はじめての精神科
春日 武彦

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これも初学者向けの良い本です。学校臨床を志望する院生なんかにも読んで欲しいですね。

健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体
4047100064 内田 樹 春日 武彦

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身体(からだ)の言い分 街場のアメリカ論 14歳の子を持つ親たちへ いきなりはじめる浄土真宗―インターネット持仏堂〈1〉 はじめたばかりの浄土真宗―インターネット持仏堂〈2〉
この辺は読んでみたい本…てかよまなきゃなぁ…

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