臨床心理学

私が臨床心理士になっている理由(4)

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ダメダメ大学院ばっかりでも何なので久しぶりにこのシリーズでも書いてみよう。
私が臨床心理士になっている理由(1)
私が臨床心理士になっている理由(2)
私が臨床心理士になっている理由(3)
私が進学したのは研究者養成系の大学院でした。学生はそれなりに研究に対して熱い気持ちを持っていたし、臨床の研究会の他、研究・統計に関する研究会なども学生が自主的に開催していたりしました。
そんな環境の中育った私ですが、たぶん私は私の師匠の弟子の中でも最も出来の悪い弟子だったと思います。


なんつーか…院生時代は思い出したくもないのですが 、本当に最悪でした。自分の出来が悪いのを人のせいにはしたくないのであまり多くは語りませんが、この時期の私は異性関係でボロボロになってました。徹底的に巻き込まれてたっていうか…裸で寝ている時、気づいたら包丁突きつけられてた…なんてこともありました(相手は当時つきあっていた彼女ではありません)。
臨床のトレーニングに関しては恵まれた環境だったと思います。私の師匠は病院臨床に強い人であり、運良く口があったため、私は大学院入学当初から単科の精神科に実習(というかバイト)に出ることができました。もう古くからある「The 精神病院」とでも言うような病院で、80歳くらいになるような超ベテラン(という域すら超えた)のNs.がいたりして…。
2回/週・9:00~17:00で、予診をとったり、集団絵画療法(というほど高級なものではなかったけど…)をやったり、SSTなんかをやったこともありました。で、時間があるときは病棟を(他のスタッフの邪魔にならない程度に)ウロウロして、患者さんと話しをしたり、時にはおやつをもらって一緒に食べたりして…あるいは病棟の看護師さんと一緒にお茶を飲んだりしたこともあったなぁ(遠い目)。
ここで実習していたことは、今の職場に入る際の試験で一つの決め手になったのですが、まあそれはおいといて…大学院○年目からはもう一つの他の病院にも行ってました。そこでは毎週、知能検査だったりロールシャッハだったりをとって、最初の数10ケースは全て師匠に検査所見のチェックをしてもらっておりました。
ただ、師匠は数年間、私に大学の心理相談室のケースは持たせようとしませんでした。今にして思えば納得できることであり、私がもし師匠の立場だったとしたら当時の私にはやっぱりケースは持たせないだろうなぁと思いますが、その時は「なんで自分だけ」とずーっと思っていました。
研究に関しても、もうずーっと行き詰まっていて…なんだか長いトンネルが永遠に続くかのような気持ちを毎日味わってました。ゼミで研究計画だったり、研究の途中経過に関する発表するなんてのはどこも同じだと思いますが、私は発表するたびにテーマが変わっているという最悪の状態でした。
研究計画を発表して、根本的な部分に対する意見を出されて反論できないと「これはダメだ…」と思い、また新しい方に手を出す…で、内容が煮詰まることなく新しい研究計画を出して、また意見・質問に対して反論できず…という繰り返し。まさに悪循環にはまっていました。
当時つきあっていた彼女(というのは今の妻ですが)は、こんな私によく愛想を尽かさなかったなぁと思います。まあ、その辺がお互い(私も妻も)しつこいところなのかもしれませんが…
で、なんだかんだで大学院△年目も終わりに近づいた頃、師匠に呼び出されて話をしていました。研究者志望なのにろくに業績もない…このままではもう「オーバードクターという名の無職」になるのは確実で、その後もニート街道まっしぐら(当時はニートという言葉はなかったですけどね)だったはずの私に対して師匠は
「どうするつもりなの?」
と言いました。
(どうするもこうするもないよなぁ…)なんて思いながら
「どうしましょうねぇ?」
と曖昧な笑顔を浮かべるしかなかった私に師匠は
「こんな話があるんだけど受けてみる?」
とある病院の心理職の口を紹介してくれたのでした。
…でこのシリーズ、 まだまだ続くみたいです。

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