資格問題

心理職の国家資格創設の流れから「臨床心理士が排除される」とは?

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【資格問題】の金曜日

さて、先週の金曜日、13/09/13のエントリ、「臨床心理士の職業的専門性と資格を考える有志の会」代表平井正三氏より臨床心理職国家資格推進連絡協議会・各構成団体に送られた疑念書を読んで思ったことの続きを書くと言っていたまま、保留になっておりました。まずはそこから始めて、その後に今日の本題に入りたいと思います。

その文章はどこから手に入れたのですか?

そもそも、日本心理研修センター(以下研修センター)理事長から推進協の各構成団体宛に、研修センターが新しく創設される国家資格の『試験・登録機関』に指定されることへの賛同と協力を求める文章が送付されたという件ですが、これって公表されていることなのでしょうか?

もし既にどこかで公表されているのであれば、私が探すことが出来なかったというだけの話ですので、どこを見ればわかるのか教えていただけると大変ありがたいです。

以下はその文章が公表されていないという前提で書かせていただきます。

疑念書(最終版がアップされているようです)の一部を引用すると

先日、一般財団法人 日本心理研修センター村瀬嘉代子理事長から、推進連に所属する各団体のみなさまに、「心理職の国家資格化に係る『試験・登録機関』に当センターが指定されることへの賛同及び協力のお願い」という依頼文書が送付されたかと存じます。

これ、わざわざ「 」でタイトルを囲んであるということは、恐らくタイトルはそのままであり、平井氏はその文章自体を見たということなのだと思います。

それってどこから入手されたんでしょうね?その入手ルート、誰からどんな形で入手したのかということは公表できないのでしょうか?また、その文章自体も公表できないものなのでしょうか?

公表できないということは…

もしその入手ルートや内容が公表できないのだとしたら、その理由についていくつかの仮説は立てられます。少なくとも何かマズいことがあるから公表できないのでしょう。

それと同じように、研修センター理事長から推進連に文章が送られたということも、本来であれば公表されたら色々マズいことが起こると考えられてたんじゃないですかね?

確かにそういった形で情報を公開しないというのは「民主的」でないのかもしれません。でも、私から見たら有志の会のやっていることも、少なくとも公表できない情報がある時点で「民主的」とは言えないのではないかと思いますよ。

現実的に、国家資格化の問題は政治家も絡んだ「政治的な」事案になっているわけで、そういった状況においては全ての情報を公開するというのは不可能だと思うのです。

政治的な事案を円滑に進めるためには、当然、根回しなんかも重要になりますよね。全てを公明正大に、完全に情報開示した上で民主的な手続きが取れるのであれば、それはとても素晴らしいことだと思います。

しかし、そうやって事前の根回しなしに完全な情報開示をしたとすれば、そのことは反対勢力にとって非常に大きな武器になりうるし、推進する側は大きな弱みを見せてしまうことになってしまいますよね。

やっぱり「周回遅れ」なのですよ

13/08/03のエントリ、「臨床心理士の職業的専門性と資格を考える有志の会」要望書に関する疑問のコメント欄で何度か出てきている言葉として、「全員投票を求める人たちは、国家資格創設の流れの中で周回遅れになっている」というようなものがあったと思います。

臨床心理士の中で国家資格創設を進めている人達は、確かにズルかったのかもしれないです。しかし、これは私の勝手な想像ですが、彼らも理想と現実の狭間で苦しい思いをしながら妥協せざるを得なかったのではないかと思うのです。

誰でもその気になれば明日から「カウンセラー」「心の専門家」を名乗ることができて、そのためにクライエントが利益を被ってしまうような現状を打破するために、理想の国家資格像はある程度脇において現実的な国家資格創設を目指しつつ、その中でいかにして自分たちの理想に近づくことが出来るかという道を模索しているのではないかと。

繰り返しますが、これはあくまでも私の想像でしかないです。

ただ、これまでの長きに渡る国家資格創設の流れを見る限り、偉い人たちは「学部卒で(が)良い」なんて決して思ってないはずです。

「周回遅れ」で理想を追い求めるのが悪いとは言いません。そういう人たちもいるでしょう。

でも、「周回遅れ」で反対してくる人が出てくるたびにその意見を全て聞いていたら国家資格創設は不可能でしょうね。恐らく、今、現役でいる人たちと完全に世代が入れ替わるくらい…5,60年くらいかかりますかね?それくらいは無理でしょう。

平井氏は1000人以上の署名を集めたとのことですが、現在臨床心理士資格保持者は20000人以上ということで、1000人というと約5%というところでしょうか。そりゃあ、どんな団体でどんなことを決めるのだとしても、それくらいの割合は普通に反対するでしょう。

もちろん、その1000人の内のどれだけがその署名の意味をわかっているかはまた別の問題ですし、反対…じゃなくて全員投票の要望の件を知っていれば賛成するだろうけど、それ自体を知らないという潜在的な層がいる可能性もまた別のお話ということで。

「内輪もめ」と見られる可能性

そして、これは既にtwitterでもつぶやいたことなんですが、「周回遅れ」の人たちが意義を唱えることは(それが全員投票を求める動きであるというだけであっても)、心理職の国家資格創設を目指す臨床心理士以外の団体から見れば「内輪もめ」に見られる可能性もあるかもしれません。

実際、同一集団内で意見の一致が見られていないというのは「内輪もめ」と言われても間違いではないでしょう。その責任が誰にあるのかは置いといて。

さらに国家資格創設の流れから臨床心理士を排除したい人たちにとって、その「内輪もめ」が政治的に利用される可能性も十分考えられます。

え?これだけの数がいて、国家資格創設の動きの中でも中心的な役割をとっている臨床心理士を排除した形で資格制度を作るなんて不可能だろうって?

そうでしょうか?そうとも言い切れないかもしれませんよ。

「内輪もめ」を利用された結果どうなるか?

ようやくここで今日の本題に入ります。前置き長過ぎ>自分

さて、臨床心理士を良く思わない勢力に「内輪もめ」を利用された場合、どんなことが起こりうるか。私はとりあえず2つの可能性を考えてみました。

政治的な素養にかける私が考えたことなので、色々と穴だらけの仮説だとは思いますが、何かありましたら13/08/03の「臨床心理士の職業的専門性と資格を考える有志の会」要望書に関する疑問のコメント欄にてご指摘いただけるとありがたいです。

その際に、こちらの「心理職の国家資格創設の流れから「臨床心理士が排除される」とは?」エントリに対する返信である旨を記載いただけますと、話がわかりやすいかと思います。

さて…

可能性その1:国家資格創設が不可能になる

まずは一つ目です。それは「国家資格創設が不可能になる」です。

これまでのように、一時的に頓挫するということではないです。50年、100年単位で無理だという話で。

考えてみてください。

一般の方々も含む署名を10万筆以上集め、これまでなかなかまとまらなかった心理学界がまがりなりにも国家資格創設という一つの目標に向けてまとまり、法制化を現実化するために政治家を巻き込み、さらには試験や認定のための機関候補まで設立して…その上で、臨床心理士がその内部で内輪もめをしている(ように見られてしまう)。それってすごいことじゃないですか?

さらには、政治家をも巻き込んだその状況で「まだ話し合いが足りないからちょっと待って」とは言えないでしょう。

仮に言ったとしたら、将来に非常に大きな遺恨を残すことになるでしょう。

臨床心理士様って自分のことどれだけ特別だと思ってんの?」と思われてもおかしくないですよ。

ひょっとしたら数多くの心理学系学会・学術団体の中には「臨床心理士がイニシアチブをとって国家資格が出来るくらいなら、別になくてもいいです」的な考えを持っているところもあるかもしれません。そういう団体があったとしたら「臨床心理士のせいで国家資格創設が頓挫した」というストーリーはある意味もってこいな話かもしれません。

そうなると、心理学界だけの問題ではすまなくなってしまうでしょう。既に政治家まで巻き込んでしまっているわけで。

そういう形で頓挫した場合、仮にその後、国家資格創設の話が出たとしても、「あの時、お前らのせいでダメになったの知ってるよね?」ってことで、臨床心理士が排除される…というか、これだけ人数が多く実際的に働いている団体を排除することは不可能なので、国家資格創設の話自体が成立しなくなります。

可能性その2:国家資格創設はなされるが臨床心理士の発言力が低下する

可能性その1よりはこちらの方が現実的にあり得る話だと思います。

既に書いたように、これだけお膳立てした状況で引き返すことは恐らく不可能です。

もう前に進むしかない中で、それぞれの団体の思惑としては「どれだけ自分たちが発言力を持てるか」「主導権を握れるか」という辺りに焦点が当てられるのではないでしょうか。

既に現在はそういったパワーゲームの段階になっていると思います。少なくとも各組織の上層部においては。

そんなの個人的にはくっだらねー話だとは思いますが、それでも「現実的にどの辺りで妥協するか」というのが要点かと思います。

他の団体と折衝しつつ、少しでも自分たちの理想に近い形を目指すには「内輪もめ」なんかしてる場合じゃないと思うのですよ。

だって、何か主張するたびに「でもお前ら、内輪もめしてるじゃん」って言われるかもしれないのですよ。

これだけの数がいて、実際に数万人単位の臨床心理士が現場で働いていることを考えれば、例えば「臨床心理士資格保持者は新しい国家資格試験は受けられません」なんて形で排除するのは不可能でしょう。

でも相対的に主導権が取れなくなるというのは十分に考えられます。つまりそういう形で「臨床心理士が排除される」可能性は割と高いということです。

そうなったらパワーゲームにおいては敗者ですよ。負け犬ですよ。

でもそうなった場合、きっと今のカリキュラム案に反対している人達(いや、私も賛成はしてないですけどね)は「それみたことか」「ほら言わんこっちゃない」って言うんでしょうね。だって、その責任は偉い人達に全部かぶせることができるわけですから。

で、どうするかですよ

以上を踏まえた上で、それでもまだまだ議論した方がいいというのであれば、それはそれでいいんじゃないでしょうか?あくまでも私が書いたようなリスクというか可能性について理解しているのであれば。それはそれで利用者のことを考えてのことなのでしょうから(そうじゃない人もいるかもしれないですけどねえ)。

私個人としては、もうそういう段階ではないと思いますので、出来るだけ理想に近い形での国家資格創設を望むのみです。もちろん、自分たちの理想がどんなものなのかを議論することは大切だとは思いますが、外部から「内輪もめ」と見られるようなことは出来るだけ避けたいな、と。その理由は上に書いたつもりです。

「誰でも明日からカウンセラー」な世の中よりは、ある程度の質は保証された方が私は利用者のためになると思います。そのために、ある程度妥協しつつも国家資格の創設はなされるべきだと思うのです。

その上で、私個人の臨床家としての力量はまだまだ不十分ですので、それを向上させるための出来る限りの努力はしたいと思っておりますが。

学部卒でも資格取得が可能になった場合、「楽だから学部卒の方がいい」と思う人もそりゃあいるでしょう。そして「賃金を抑えることが出来るから学部卒を優先的に採用する」という機関もあるでしょう。

でもそういう人やそういう機関って、大学院修了を必須条件にすれば良くなるのかというと、そういうことでもないと思うのです。少しはマシになると思いますが、根本的な部分は変わらないのだと思います。

結局、各個人、各機関の考え方だと思うんですけどね。

とりあえず私個人としては、資格制度や偉い人のせいにせず、粛々と自分が今すべきことをやるしかないわけなのでございましたとさ。

長文乱文失礼いたしました。

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