子育て

これからの時代、小学校の授業で「新聞作り」は必要なのだろうか?

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英字新聞

先日、小5の長女の国語の教科書を読んでいたら、新聞を使った内容がありまして。実際、授業で新聞作りなんかをしたそうな。

そして、これまた先日、近所のショッピングモールで買い物をしていたところ、地域の小学生の手作り新聞の展示なんかもしてあったり。

それを見て思ったのです。これからの時代、小学校の授業で「新聞作り」をする必要があるのか?と。

新聞を使った学習法をNIE(Newspaper in Education)というらしいです。Wikipediaさんが教えてくれました。

NIE(Newspaper in Education(教育に新聞を))とは、学校等で新聞を教材にして勉強する学習である。アメリカで1930年代にニューヨークタイムズが新聞の教材としてのハイスクールでの利用を考え、始めたもので、NIEを教育上利用している国家は、現代では世界で52か国にのぼっている。日本新聞教育文化財団が推進している。

NIE - Wikipediaより

目的というか効果としては…

学習に対する自主的で積極的なアプローチや情報の自己判断力の向上を促進させるものである。また活字離れを食い止める効果があるとされる。ディベートを行う場合、よく読み込まなくてはならないため、読解力も付けられる。

複数の新聞を読み比べる事で新聞のウソや偏向報道を見抜く目を養うことはメディア・リテラシーにも通じ、現代の子供にとってとても重要な意味合いを持つ。これは、松本サリン事件の時にも言われた事だが、こういったNIEを受けてきた子供達が将来大人になった時に報道被害を食い止められるのでは、とされる。

近年の大人にまで及んでいる政治に対する無関心(これは日本に限ったことではない)を打破する事にも繋がる。実際、今までの授業での社会科などでの政治に対する扱いは、概念的なことが中心で、今のホットな政治の動きについてはあまり扱わない事が多い。そのため、今の政治の動きを知ることで、関心を持つきっかけになる。

という感じなのだそうな。「新聞作り」という課題とはまた別の視点という気もしますが、新聞記事作成はディベート能力に関連する言語表現の力を磨く効果はありそうです。

ただ、当然のことながら批判もありまして。私の言いたかったことは、ほとんどWikipediaさんに書かれておりましたよ。

・新聞社は私企業であり、結局のところは、近年の新聞の売り上げの落ち込みのテコ入れ策でしかない。また、そういった新聞の売り込みそのものを教育の現場に持ち込む事に対する批判。
・新聞界において、昔から延々と発生し続ける記事の捏造や冤罪報道といった報道被害の情報は伏せられてしまい、意味がない可能性がある。
・既存の権力構造である新聞社が協力するため、そこから抜け出した考えをもち、偏向報道を見抜く事は困難であるかもしれない。
・新聞紙面の文章の言い回しは、一般社会ではありえないか、あるいは非常に抽象的かつ曖昧な表現が多い。そのうえ最近の新聞は、固有名詞を除けば、文字の表記を常用漢字に限定したり、必要以上に開いた表記(話す→はなす)を採用しており、文章の読解力向上に特に効果があるとは言い難い。
・教師が意識して、特定の新聞のみ教材として用意するなどで、恣意的な教育が行われる可能性がある。
・そもそも、日本の新聞は諸外国のそれと比較して、出版部数や価格の割に、内容が非常に薄い(欧米の日刊紙の半分程度しかない)。

全くもってその通りですね。

つーか、リテラシー教育をするのであれば、今ならネットを用いた教育の方が必要な気がします。

そして「表現」という意味では、大多数の人が将来的に触れないであろう「新聞記事を書く」「新聞を作る」ということよりも、よりハードルが低く、かつ恐らくより高いリテラシーが必要になるであろう「ブログ作成」「ウェブサイト作成」の教育の方がいいのではないかと思うわけです。

我々はネット上での表現について教育を受けたわけではありません。こうやってブログを書いている私も、個人的に痛い思いを色々としつつ、自分でそれなりに表現の仕方は変えてきているつもりです。

今こそそういう教育が必要なんじゃないかと思うのですよねえ。少なくとも「新聞作り」という内容よりは現実的に必要なのではないかと思う次第であります。

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