■「凶悪犯罪は低年齢化」していない~子どもに対してせっかちな大人たち(日経ビジネスオンライン)
「ニュース」ではないし、「心理学」かどうかも怪しいんですが納得の内容だったので取り上げた次第。
「青少年の問題をなくす学校教育」ではなくて、「青少年の問題と丹念につき合ってていける学校教育」という方向を、大人は考えるべきだと思います。現実の学校は、難しい子どもたちと何とか関係をつくり、教育的な意味を持つ空間を機能させようと努力しています。また、さまざまな問題を抱えつつ生きている子どもたちの成熟までの試行錯誤に、多くの先生がつき合っている。特に、中学校の先生や、高校の「進路多様校」の先生方は、大変な苦労をされています。
つまり、今の学校は、「子どもが起こす問題と向かい合う大人」の役割を必死に果たそうとしているのです。そして、そうした結果、少なくない子どもたちが、途中であれやこれやの問題を起こすものの、その大半は、次第に落ち着いてきて、悪いことを「卒業」し、まともな大人になっていっているのです。
そのことを理解できず、成熟までの時間をひたすらマジメでクリーンなものにしたがる短気な大人が、せっかちに学校を糾弾し、道徳の教え込みといったできもしない教育論を振り回している。
果たしてキレているのは、子どもなのでしょうか。例外的な事件が大騒ぎになるたびに、世の中の大人が思考停止してキレている。私にはそう見えてなりません。
結論より抜粋。全くその通り。
当ブログでも何度か取り上げましたが、『(今の)若者一般の問題』なのではなく、「これは『例外的な事件』である」ってこと専門家(特にそういう事件があると引っ張り出される心理学者や精神医学者)がきっちりと世間に伝えていく必要があると思うのですよねえ。
それを取り上げるマスコミがそもそもそれを望んでいないのかもしれませんが、だとしたらそういうところ(マスコミの思惑とか世間の人の期待とか)も含めて、やはり専門家が伝えていくべきところは色々あるのではないかと思うわけです。
そういう意味でこういう記事は(書いてるのは教育学の人?ですけど)意義があるのではないかと。
ちなみに同じような内容は以前紹介したこちら↓でも触れられておりました。
反社会学講座 (ちくま文庫 ま 33-1) パオロ・マッツァリーノ 筑摩書房 2007-07 |
興味のある人は是非どぞー。
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