@39you1さんのつぶやきから
14/01/27のエントリ、「最終学歴=博士後期課程中退」な私が「博士課程修了の何がどう臨床業務に貢献しうるか」を考えてみるに対して、@39you1さんからリプライいただきました。
そのツイートがこちら。
相談者にとっては良くなる事が最優先。理論とか根拠とか関係ない。自分が楽になるなら○○学派の偉い先生よりずっと、坊さんや牧師の方が信頼できる。RT「博士課程修了の何がどう臨床業務に貢献しうるか」を考えてみる http://t.co/OxZTLGFyUO @rotemeisterから
— u-1 (@39you1) 2014, 2月 6
重要な内容だと思いますので、この件について少し考えてみたいと思います。
我々、心理臨床家にとって「理論」や「根拠」はどんな意味を持つのでしょうか?本当に○○学派の偉い先生より、坊さんや牧師の方がいいのでしょうか?
楽になるなら何でもいいのでは?
いきなりぶっちゃけますが、その方がクライエントにとって「本当に」楽になるのならば、別に心理療法やカウンセリングを受ける必要はないと思います。
お坊さんや牧師さんに話を聞いてもらって「本当に」楽になるならば、そちらで問題ないのではないでしょうか。
もっと言ってしまえば、「周囲に一切迷惑をかけない」という条件つきで、キャバクラでもホストクラブでも風俗でも何でもいいと思います。それで「本当に」楽になるのであれば。
ただし、それはあくまでも「クライエントの立場」から考えた場合です。我々が心理臨床家であろうとする限り、どうしても「理論」や「根拠」にはこだわる必要があるのです。
「理論」や「根拠」って何なのさ?
そもそも「理論」や「根拠」って何なのでしょうか?
「理論」や「根拠」は偉い人が言うことだから大事にしなきゃいけないのでしょうか?いえ、決してそんなことはありません。
臨床心理学における「理論」というのは、心理療法やカウンセリングによってその目的を達成するための「根拠」となるものです。
「理論」は基礎研究や事例研究における数多くの知見から導き出されたものであり、そして心理療法やカウンセリングに求められる「良い結果」の再現性を高めるための「根拠」となるのです。
以前、何度かこのブログでも書いていますが、臨床場面において我々が行う全てのことには「理論」に基づいた「根拠」が必要です。「なぜそこでその介入が必要なのか」「なぜその場面でそのように発言しているのか」ということの根拠が必要だということです。
「理論なき心理療法」「理論なきカウンセリング」とは?
臨床心理学についての知識を全く持たない人が、何か困っている人に対して心理療法的な介入めいたことをしたとしましょう。
ひょっとしたら、それで対象者が楽になることもあるかもしれませんし、問題が大きく改善することだってあるかもしれません。
ただ、それは単なる「偶然」の結果でしかありません。たまたま、その人に合った介入が出来た…ということでしかないのです。そこに「理論」や「根拠」がなければ、他の対象者への同じ介入が再度上手くいく可能性は非常に低いでしょう。
「理論なき心理療法」「理論なきカウンセリング」は当たるも八卦、当たらぬも八卦の占いと同等のものです…いや、占いであればまだ「理論」や「根拠」があるかもしれない分マシです。それで良くなる確率というのは、サイコロを振って特定の目を出す確率と同じようなものでしかありません。
「理論」は宗教の「教義」ではありません
臨床心理学における「理論」は、絶対的なものではありません。様々な研究によって常に検証され続けなければならないし、場合によっては修正されていく必要もあるでしょう。その過程、その営みが臨床心理学という学問だと私は考えます。
私は宗教には詳しくないので断言は出来ませんが、恐らく宗教における「教義」はなかなか修正されることはないと思います。少なくとも臨床心理学における「理論」と同じようなスパンで変化していく類いの物ではないでしょう。
ですから、○○学派の偉い先生の言っていることだって、正当な「根拠」があれば批判されたり、修正されたりするはずです。
もう一つ@39you1さんのつぶやきから
上で挙げたのと同じエントリに関して、@39you1さんからのもう一つのつぶやきがあります。
自分がカウンセリング受けてみると一番良く解ります。いかに〇〇教授が大学院でムダな勉強を教えているかRT「最終学歴=博士後期課程中退」な私が「博士課程修了の何がどう臨床業務に貢献しうるか」を考えてみる http://t.co/OxZTLGFyUO @rotemeisterさんから
— u-1 (@39you1) 2014, 1月 27
これはつまり、@39you1さんがご自身でカウンセリングを受けた結果、「○○教授が大学院でムダな勉強を教えている」と判断されたということでよろしいでしょうか?
その判断はひょっとしたら正しいのかもしれませんが、しかしそれはあくまでも一個人の感想でしかありません。
もし本当に○○教授の教えている理論に問題があるのであれば、どこがどう問題なのかを批判すべきでしょう。そしてその批判は臨床心理学的な学問の枠組みでなされて、初めて意味を持つものだと思います。
批判するには、その批判する対象について知らなければいけませんし、そもそも批判する方法(手段ではないです。批判する文脈の話です)がわからなければ批判できません。
そんな意味でもやはり「理論」や「根拠」というのは必要なわけです。
「理論なき心理臨床実践」になってませんか?
私はこのエントリで@39you1さんをdisりたかったわけではありません。むしろ、非常に良い問題提起をしていただけたと感謝しております。
「理論」や「根拠」が必要なのは何も心理療法やカウンセリングだけではありません。というか、心理アセスメントの分野ではもっと分かりやすく「理論」や「根拠」が必要になると思います。
心理アセスメントにおいて「理論」や「根拠」がなくなってしまったら、それはもう本当に占い以下のものになってしまいます。
でも、勉強会なんかをやってると意外にそういう人って多いような気もするのです。
「なんとなく」で意見を言ってみたりとか、あるいは「教科書に載ってるから」とか「偉い先生がこう言ってたから」なんてのが根拠になってる人…いませんか?
我々は自分達が使っている「理論」や「根拠」について常に批判的に考えていく必要があると思いますし、そうでなければ我々は心理臨床家ではなくなってしまうと思うのですよね。
…そんな感じでダラダラ書いてしまいまとまっておりませんが、なんとなくワタクシの言いたいことはお伝えできたでしょうか?
もしご不明の点やご意見等ありましたら、コメント欄でも結構ですし、TwitterやFacebookなんかでも承ります。
皆様の声、おきかせくださいませませ。