臨床心理学

社会人経験と臨床能力の関連について改めて考えてみよう

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えーと、タイトルで「臨床能力」なんてサラッと言ってしまってますが、この辺の定義になるとネバーエンディングな話になってきそうなので、とりあえずは「社会人経験が臨床実践の質に与える影響について~」くらいの意味合いで…これはこれでめんどくさそうなタイトルになるので、結局タイトルのことはあまり深く考えない方向で。
で、関連過去ログ。
博士課程の保有者対象の教員採用試験の話から臨床家と人生経験の関係について連想…てか妄想してみる(08/02/29)
未読の方はまずそちらから。で、そのコメント欄で発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版のセーイチさんからこんなコメントいただきました。

社会人経験の有無ではなく質とするところはなるほど!と思いました。

ただ「どんなことをどのように感じてきたのか」というところがまだよく分からないのですが、「何を」「どのように」感じることが有効であるという風に思いますか?

そんな杓子定規のようなものではないかもしれないですけど、ロテ職人さんがどう理解しているのか聞きたいと思いました。

コメントありがとうございました。お返事遅れてしまって申し訳ありません(当ブログではコメントが超遅れるのがデフォなので気長にお待ちいただけたらと思う次第であります)。
で、とりあえず私が書いた文を今一度読んでいただきたいのですが

その考えをもっと進めていくと重要なのは「人生経験の質」であり「人生経験の量」じゃないと思うのです。「どんなことを経験してきたか」ではなく「どのように経験してきたか」だと思うのです。

これ、意図的に「何をどのように経験してきたか」とは書いていないのです。ぶっちゃけ「何を」というのは重要ではないと私は思っています。
以前書いたのは「社会人経験がない人間に社会人の悩みは理解できない」という言説についてですが、これに関しては前に述べたように「うつ病の経験がない人間にうつ病の人の気持ちはわからない」と同じ意味で傲慢な話であると考えます。クライエントが感じているのと同じ苦しみを、クライエントが感じているのと全く同じように治療者・カウンセラーが感じるというのは不可能です。「ピキーン」と眉間に光が走って他人と同じように感じることができるのはニュータイプだけです。
ただし、全く同じように感じることはできないけれども、それに近づけることはできると思います。そしてそれが「共感」ということなのだと思います(…で「共感」の定義の話になるとまたややこしいことになるので、その辺もまたスルーでよろしく)。
できるだけ「共感的」な治療者・カウンセラーになるためにはどのようにすればいいかってーと、これまた月並みな話ですが、まずは臨床実践のトレーニングが重要かと思います。たまたま個人の資質で共感性の高い人、共感的に話を聴くことのできる人はいるかもしれませんが、臨床実践においてはそれを要所要所で活用できることが重要になります。そのためにはやはりトレーニングは必須でしょう。
で、「共感性」を磨くにはどのようにすればよいかというと、これもまた何だか月並みな話になってしまいますが「感性を磨く」というようなことに行き着いちゃうんじゃないかと思います。そして「感性を磨く」にはどのようにすればよいかというと、やはり色んなことを経験して色んなことを感じ・考えるってことになるのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、この「色んなこと」は何だっていいと思うのです。学生であればバイトしてみてもいいかもしれません。サークルに燃えてみるのもいいでしょう。サークルも無理に燃える必要もなく、ダラダラやってみてもいいかもしれません。恋愛とか肉欲に溺れてみてもいいかもしれません。読書もいいかもしれませんし、映画なんかもいいかもです。アニメ観るのだって意味があるかもしれませんし、テレビのくっだらないバラエティ番組を観てみるのもまたいいかもしれません。美味しい物を食べるのもいいかもしれませんし、美味しくない物を食べるのもいいかもしれません。一人でご飯食べてみてもいいかもしれませんし、友人と合コンに行ってみるのもまたいいかもです。社会復帰できる程度に引きこもり生活をしてみるのもまたいいかも。
それらと同じ意味で社会人経験もまた意味のあることなのかもしれません。
ってなわけで何だっていいと思います。そして重要なのは「そこで何を感じ、何を考えるか」なのだと思います。
色んなことを感じ、色んなことを考えることで、自分の持っている参照枠の幅?というかバリエーション?は拡がるんじゃないでしょうか。で、それが「感性を磨く」ということであり、将来的に「共感性」へと繋がっていくと今の私は考えます(というのは、将来的には考えが変わるかもしれないということで)。色んな感じ方、色んな考え方をできるようになること、そういう色んな感じ方、考え方があるのを知ることが重要なのではないでしょうか。
そしてどんなに貴重な経験をしても、そこで何も感じず、何も考えなければ、後には何も残らないとも思っています。だから重要なのは「何を」経験するのかでなはく、「どのように」経験するかだということなのです。
そういう意味で「社会人経験の有無」だけを問題にするのは意味がないと私は考えます。
・・・・・・・・・・
というわけで読みにくい文章になってしまいましたが、私が主張したいことおわかりいただけましたでしょうか?>セーイチさん&読者の皆様
上記発言はとりあえず何かエビデンスがあるわけではありません。あくまでも私が漠然と考えていることです。そして、誰か同じようなことを言ってるかもしれませんし、私自身どっかで読んだことを忘れていることなのかもしれません(というわけで、同じようなことを言ってる人がいたら教えてください)。
…んでも、何か特別なことを言ってるつもりはないんですけどね。だから、既に誰か同じようなことを言ってる確率は高いんじゃないかと思います。
そんな長文・駄文におつきあいいただきましてありがとうございました。コメントいただけたら(返信は遅くなってしまうかもしれませんが)うれしゅうございます。

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