大学院入試失敗の思い出
何度かこのブログでは書いていますが、私は一度大学院入試に落ちて、1年間研究生をやったのちに志望大学院に入りました。
その原因ははっきりしていて、単に勉強不足だったわけなんですが(その背景にも色々と要因はあったのですが、それについては割愛)、一年目の入試ではいくつか明確な失敗がありました。
その一つが面接試験での私の発言です。
志望動機を尋ねられた際、私は「〜ということで、私は○○について勉強したく、こちらの大学院に入学したいと思っております」とはっきり言いました。
それを聞いた面接官の先生の内の一人が苦笑しながらこう言いました。
「大学院は勉強するところじゃないよ。研究するところだよ」と。
「勉強したい」「学びたい」はNGワード?
私の志望大学院は「臨床心理士指定大学院」ではなかったですし(そもそも当時、指定大学院という制度はまだありませんでした)、研究者養成の色彩の濃い所だったからそう言われたのだ…ということはあるのかもしれません。
しかし、例え臨床心理士指定大学院であったとしても、やはり厳然として大学院というのは「学ぶところ」「勉強するところ」ではなく「研究するところ」だと思うのです。
なぜ、臨床心理士の養成課程において大学院修士課程修了であるという条件が設けられているのか考えてみましょう。
それは、臨床心理士の主要な業務の一つとして「調査・研究」が掲げられており、臨床心理士にはある程度の研究能力が求められているからです。
それがなければ、別に大卒を条件としてもいいでしょうし、何だったら専門学校卒でもいいかもしれません。臨床実践の技術にのみ限定して学ぶのであれば、むしろそちらの方が効率がいいでしょう。
だからこそ、研究機関であるはずの大学院入試の面接において、志望動機を尋ねられて「勉強したい」「学びたい」と答えることはNGワードになってしまうのです。
なぜ、今、この話題?
実は私、以前に全く同じようなことを書いているのです。
・【勉強】大学院入試の面接を思い出した【研究】(05/10/11)
既に(とは言ってももう8〜9年前ですが)述べていることを、なぜまた書いているのかというと、それはこちらのブログ記事を読んだからなのでした。
引用させていただきます。
面接試験では主に
なぜこの大学院を志望したか、
何を学びたいか
どんな研究をしたいか
卒業後、どのような方向に進みたいか
面接の意図は
「入学したいしたい人が学びたいもの、したいことと、学校側が提供できるかどうかが一致しているかどうか」を知ることです。
そのため、学びたいものがより具体的でしっかりしている方がいいでしょう。
将来どのように働きたいのか
そのためにどのような勉強をしたいのかをしっかりとクリアにし、そのために大学院を選んだというところをしっかりとまず整理しておくことが面接合格のために必要だろうと思います。
これだけ「学びたい」「勉強したい」と書かれているということは、つまり、その点については恐らく全く何の疑問も持っていらっしゃらないということなのでしょう。
指定大学院の教員はどう考えてるんだろう?
私も
しっかりと大学院についての情報収集や研究室訪問をしていくことが必要だろうと思います。
この点については同意します。それは自分が「研究したい」ことがその大学院で研究できるのかどうか?ということを知るためです。
当ブログを読んでらっしゃる方の中には、大学・大学院で教員をされている方も少なくないはずです。当然、大学院入試の際の面接官などもされるかと思うのですが「○○を学びたい」「○○を勉強したい」という発言は問題にならないのでしょうか?
あるいは、臨床心理士指定大学院の一部は、既に「大学院は研究するところ」であることを放棄しているのでしょうか?
是非とも関係者の皆様のご意見をうかがいたいところでございます。