臨床心理学

ダメな修論は遠慮なく落とした方が世のため人のため その1

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06/10/26のエントリ、なんか勝手に決めつけてる?ような気がしないでもないで取り上げた廣中氏のご意見ですが、その後のエントリ、臨床心理士で、廣中氏が前のエントリで述べた

僕は,臨床心理士を目指す人に学校教育法で定める大学院教育は必要ないと思っているのですが,これは臨床心理士という資格ができたときの経緯ともかかわり,今では多くの人が忘れていることなので,いずれ改めて書きます。

という辺りの補足がなされています(というか私にはそう読めます。もし私の読み違いだったらごめんなさい)。

古い世代の人は覚えておられることと思いますが,「臨床心理士」という資格が出来たときに想定していたのは,現場で臨床活動をする人々ではなく,その人々を指導する人々でした。
僕はその制度作りにかかわったわけではありませんから,当時の先生方から漏れ聞こえてきたウワサを基にして書きますので,どうぞ,いろいろな考えがあったなかのひとつ,と思ってお読みください。
で,1980年代初頭に考えられていた(仮称)臨床心理士は,学位は博士号かそれと同等,原著論文が3報から5報,常勤として給料を得ている臨床活動歴が1年ないし2年以上という条件でした。

廣中氏は「今では多くの人が忘れていることなので」とおっしゃっていましたが、別に忘れちゃいないですよ(少なくとも私は)。後にハードルは下がったものの、いわゆる「科学者-実践家モデル」ってのはこのことでしょう。
で、その辺を踏まえて

ただ,これから臨床心理士は淘汰の時代に入るでしょう。僕にはその将来は読めませんが,おそらく,昔の構想がある程度復活し,師範的臨床心理士と現場的臨床心理士に別れるのではないかと思います。そして,マーケットを開拓しなければならない。お役所と国に任せているだけでは,心もとない。これも僕の意見です。

と結んでいます。
「師範的臨床心理士と現場的臨床心理士に別れる」という流れは、専門職大学院の問題へと繋がっていくのだと思います。某Q大の教育モデルを見ていけばその辺はわかります。
でも…今後、臨床心理士を現場で鍛えていくことを考えると、結局、現場にも師範的臨床心理士をおかなきゃいけないと思うのですよね。さらに、本当の「臨床データ」ってのは現場でこそ得られるものであると考えると、現場の臨床心理士こそ研究能力が必要になってくると思うのですよね。(ってのは当ブログでは何度も何度も何度も主張していることなのですが)
で、「マーケットを開拓しなければならない」と言うのであれば、なぜ

ともかく卒業して資格を取ることが第一目標であり,心理臨床家の本当の勉強は現場に立ってから始まるものだから,修士研究でつっかえる必要はないのです。

というように研究を軽視し、能力のない人間を現場に出そうとするのですかね?
ある程度まともな研究すらできない人間を臨床の現場に出したところで、まともに臨床できるはずがないじゃないですか。
もし、マーケットの開拓を望むのであれば、むしろ能力の向上が必須なのではないですか?
廣中氏もおっしゃっているように、スクールカウンセラーという貴重な前例を見ていると、数を増やすことが必ずしもマーケットの拡大には繋がらない(一時的に増えたとしても、それはその後の市場の安定を意味するものではない)わけで、それだったらまずはダメな修論は落とすことで大学院修了の段階で量と質の調整をするのが一番早いし、それこそ大学の教員に出来る仕事なんじゃないですか?
こういう考えの教員がダメな修論を落とさずに通してしまうのは、臨床心理士のレベルを下げようという陰謀なのではないかと私なんかは勘ぐってしまうわけですよ(いや、これは私の妄想です)。
自分にできることをせず(考えず)に単に現状を批判するだけで、あまつさえ「楽な」(というか安直な)研究計画の立て方を指南してしまうというのは、大いなる矛盾なのではないかと思うのですがいかがでしょうかね?というか廣中氏は自分のおっしゃっていることの矛盾に気づいていただきたいと思います。
ひょっとしたら「大学経営的に修論でたくさんの学生を落とすのはマズイ」という意見もあるかもしれません(それ自体、研究者として・指導者としてどーかとは思いますが)。でも、多くのダメ学生を輩出し多くのダメ臨床心理士を作ってしまうことは、長期的には大学経営上マイナスに繋がりかねないのではないですかね。
長くなってしまったので続きます。

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