研究と臨床

【研究】臨床心理士が研究するということ(1)【臨床】

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 院生時代、臨床と研究の両立の事でブツクサ言ってたら(今にして思えば、どっちももんのすごく中途半端な状態だったんですけど)、I先輩にこう言われました。


 (まともな)心理学の研究というのは、仮説を立てて、その仮説を検証するための方法を考えて、その方法に基づいて実験・調査をおこなって、その結果を考察して、その考察から仮説が間違っていたらさらに仮説を修正して、仮説を検証するのにより良い方法があったら方法を修正して、実験・調査をして、考察して…という風に進んでいくものであり、これは実は臨床実践の在り方と一緒なのだと。

 つまり(まともな)心理臨床の実践というのは、アセスメントをして治療的な仮説を立てて、その治療的な仮説に基づいて方針を決め、その方針に基づいて実際の面接をおこなって、面接を繰り返す中で治療的な仮説を修正し、また問題解決のためのより良い方法があったら、方針を変更する、と(ま、実際は治療的仮説はあんまり変更しない方が良いんですが…)。

 で、研究にしても臨床実践にしても、「どうしてそうなるのか?どうしてそうするのか?」ということを「考えること」が非常に大事なのだと。

 私も大学院生時代は学部生の卒論指導なんかもしましたし(これも中途半端だったなぁ…私が担当してた学生さん達、ごめんなさい)、今でもうちの病院に実習に来ている指定大学院の学生の修論の話なんかを聞いたりしますが、「いままでやられてないから」とかいう理由で「この変数とこの変数の関連を見てみました」的な研究って、実は多かったりするんですよ。確かにそれで一つの研究(らしきもの)はできるのかもしれないけど、で、それって結局学部を卒業するだったり、修士課程を修了するという目的だけのものなんじゃないか、と。

 確かに「今までやられてないから」ってのは研究の意義としてはありかもしれないけど、じゃあ「なんで今までやられてないのか」とか考えたんかね?あるいはあなたが見たいことを見るため、あるいはあなたが検証したい仮説を検証するためには、実はもっと他の変数だったり、他の概念だったりを持ってきた方がいいんじゃないかとか、考えたんかね?臨床心理学専攻だったら、臨床実践にその研究がどうフィードバックされるのか、その研究をすることはどういった臨床的意義があるのか考えたんかね?とか、色々ツッコミどころはあるわけですよ。

 私はそうやって物事を考えないやつは、まともな研究ができないってだけじゃなく、まともな臨床実践もできないと思っています。

 これも院生時代に先輩から言われたことなんですが、心理療法ってのは「治療的意図に基づいたコミュニケーション」だってこと、皆さん知ってますか?…そんなん当たり前じゃん、と言われるかもしれませんが、しかし心理療法が「治療的意図を持ったコミュニケーション」であるならば、面接場面で発せられる言葉だったり、面接場面でのやり取りだったりってのは、全て治療的な意図に基づいているはずなんですよね。

 下手な面接というのは、「なんでここでこう言ったの?」とか「なんでここでこう返したの?」とかって後で考えてしまうようなやりとりが多く、治療者自身もそのことについて尋ねられると「いや…なんとなく…」的な答えしかできないんですよね。「今、その場面で、なんでそう対応するのか」というのを考えろと言いたいわけです。

 もっとひどい場合、上で述べたような「治療的仮説」や「方針」を決定した根拠が「なんとなく」だったりすることもあります。冗談じゃなく、たまに研修とかの症例検討を見てると結構多かったりするんですよね。まともにアセスメントもできてない臨床心理士ってのは(まあ、私の職場がある地域が田舎だからって理由もあるかと思いますが…)。既にご理解いただけるかと思いますが、ここでいう「アセスメント」とはもちろん心理検査のことだけを指すのではありません。より広範な「見立て」を意味します。「見立て」もなしに面接するなんて、んなこと普通の神経してたら恐くてできないと思うし、そもそもクライエントさんに対してものすごく失礼なことですよねぇ…。

 私は臨床心理士が臨床実践に臨む際に、「科学的思考」というのは必須だと思っていますし、臨床心理士が研究をするというのは、もちろんその研究から得られた知見が臨床場面にフィードバックされて臨床実践の質が上がるということもありますが、私はむしろその「科学的思考」というのが鍛えられるという方が重要なんじゃないかと思っています。

 なんだか長くなってしまったので、この「科学的思考」ってことに関してはまた明日にでも…

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