研究と臨床

自己愛の傷つきを避けるために研究しない人と自己愛を満たすために研究する人

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関連するっぽいエントリは多分こちら。
臨床経験長いけど業績ゼロってヤバくね?(06/08/16)
臨床経験長いけど業績ゼロって人にとっての「批判されること」(07/09/03)
上記リンク先では「臨床経験長いけど業績ゼロって人の中には自己愛が傷つくことを恐れて研究してない人が少なからずいるのではないか?」という話をしたんですが、その逆もいるのではないかと思うのですよ。
「自己愛を満たすために研究してる」って人もいるのではないか?と(…「逆」かどうかは自分で書いてて微妙…まあいいや)。
これってどうなんでしょ?


実際、いると思うんですよ。例えば、他者から認められたいから…なんて理由で研究する人。つか、「お前が研究する動機としてそういうのが全くないのか?」と聞かれたら、「全くないです」と断言する自信ははっきり言ってないです。
んでもぶっちゃけ「全く(研究)やんないよりはまだマシじゃね?」とも思うのですよね。
基本的にどんな糞研究(この場合の「糞」は研究の内容ってことで)でも、私はやんないよりはマシだと思うのです。その糞研究に対する批判から何か有効な知見が得られる可能性もありますし、あるいはその糞研究が発端となって、内容的な進展が良い研究に繋がる可能性もあります。
どーせほとんどの研究はアレなわけですから(スタージョンの法則?)、だったら「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」ってことで、出来るだけ多くの人が出来るだけ多くの研究をした方が、結果的に(どんなに糞研究が多くとも)その学問の発展に繋がるのではないかと。
…って今、過去ログ読み返してみたら、既に同じようなこと書いてるなぁ>自分
「役に立たない研究」は存在するのか?(05/09/26)
もちろん「自己愛を満たすために研究するのって別にいいんじゃね?」とは言っても、クライエント(or 被験者)に迷惑をかけないのが大前提になるわけですけどね。当然それは臨床系に限らず、ネズミさんを使ってる研究なんかでも無駄にネズミさんの命を奪って良いわけではありません。当たり前の話ですが(この辺も既に過去ログで触れてますわな→「データをムダにしない」ってことから考えてみる(06/05/01))。
あと、糞研究ってもあくまでも糞なのは「内容」についてであって、論理展開だったり方法論だったりはそれなりにまともなものである必要があるってことも前提条件ではあります。
で、結論は「研究がんばろうよ>俺」ってことなのでありました。(真面目に話せばそれだけじゃなく、こういうことを考えるのは職業的なアイデンティティとか資格問題について色々考えることにも繋がると思うわけなのですけどね)。
今日も色々とがんばりたいと思います。
※全部書いた後に読み返してみたら、「自己愛の傷つきを避けるために研究しない人」については全く言及してなかったわけですが…まあいいや。

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