研究と臨床 臨床心理学 資格問題

7ねんまえにぼくがかんがえたさいきょうのりんしょうしんりしようせいかてい

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ぼくのかんがえたさいきょうのちょうじん

昨日、Twitter上で、心理職の国資格創設を踏まえた養成課程に関する議論をさせていただきました。それについては近いうちにまとめてみたいと思うのですが、ふと思い出したのです。

「そういえば昔、理想の養成課程に関するエントリを書いたな」と。

検索して見つけてみました。

ぼくのかんがえたりそうのりんしょうしんりしようせいかてい(06/03/03)
ぼくのかんがえたりそうのりんしょうしんりしようせいかてい その2(06/03/05)
ぼくのかんがえたりそうのりんしょうしんりしようせいかてい その3(06/03/06)

私の考える理想の臨床心理士養成課程Vol.1(06/03/20)
私の考える理想の臨床心理士養成課程Vol.2(06/08/03)
私の考える理想の臨床心理士養成課程Vol.3(06/08/16)

2006年、つまり今から7年前の記事です。

7年前と今とでは、私が勤務する職場は変わっていませんが、私を取り巻く労働環境は変化しておりますし、そして心理職のあり方や資格問題についての考え方も私の中で少なからず変化している部分があります。

そこで、7年前に書いたこの「養成課程」関連エントリを読みやすくリライトしながら、今、自分自身が国資格創設についてどう考えるか、そしてその養成課程はどうあるべきだと考えているのかをまとめていきたいと思います。

基本的に以下の内容は、上記過去ログの内容に沿ってはいます。ただ、文章をかなり整理していきますので、若干の内容変更はあるかもしれません。もし、7年前のオリジナルな考え方がどんなものだったか、そしてその考え方がどのように導き出されたものなのか気になる方がいらっしゃたら、是非ともコメント欄も含めて過去ログを読んでいただければと思います。

子どもの空想レベルでの「さいきょう」

本日述べるのは「7ねんまえにぼくがかんがえたさいきょうのりんしょうしんりしようせいかてい」です。読みやすいよう漢字に直せば「7年前に僕が考えた最強の臨床心理士養成課程」となります。

なぜタイトルが「ひらがな」なのかと申しますと、「理想」というよりは「夢想」であったり、ある意味で子どもの「空想」に近いレベルで「非現実的」だと思うからです。

いわば「ぼくのかんがえたさいきょうのちょうじん」みたいな物だと思っていただけるとありがたいです。

ただ「夢想」や「空想」であっても、現実的な養成課程を考える上での一つの叩き台としては「あり」かなと、私個人は思っております。

理想は「博士課程修了」レベル

端的に言いますと理想は「博士課程修了」レベルだと思います。

現行の臨床心理士養成課程(指定大学院制度)の中で最も数の多い第1種指定大学院の場合、指定された大学院修士課程を修了することで、臨床心理士資格試験の受験資格が得られます。

「博士課程修了」が要件となると、現行の修士課程修了後、さらに3年上乗せするということになります。

なぜそれが必要なのか。

それは修士課程の2年間というのは、充実した実習・研修を行うにはあまりにも短すぎるからです。それだけではなく、ある程度まともな内容の研究を修士レベルで行おうと思ったら、さらにその2年間は余裕のないものになってしまうからでもあります。

修士課程の2年間で何を学ぶか?

修士課程のたった2年間で臨床実践のトレーニングを行うなんて、はっきり言って「無謀」です。

そんな無謀なことはすっぱりと諦めた上で、とにかく臨床実践についての知識や基礎的技術、様々な理論や面接技法、そして各種心理検査などのアセスメント技法を、講義や演習などでみっちり叩き込むことに力を注ぐのが良いのではないかと思います。

その際、理論に関しては「広く浅く」が望ましいとも考えています。

自身の臨床のオリエンテーションなんて、たった2年で決められるものではないと思うのです。そしてこれは余談ですが、だからこそ今の臨床心理士資格試験の面接での定番の質問「臨床のオリエンテーションは?」というのはナンセンスだと思います。

それはともかく、知識レベルでは修士課程の2年間で現行の臨床心理士資格試験(筆記)に対応できるだけの内容を叩き込み、あとは修論のための研究をしっかりやる、ということです。

修士課程で現場実習は不要?

現行の指定大学院の課程で現場実習は必須ですが、「ぼくのかんがえたさいきょうの(略)」においては修士の段階で現場実習は不要だと思っています。

ただ、現場「見学」レベルの実習はあってもいいというか、むしろあった方がいいと思います。

これくらいの時期に色々な現場を見て(実際に働いている人の話を聞いて)、将来どういった領域に行きたいか、あるいはやっぱりこの職に就くのは止めるか(修士の段階であれば、まだかろうじて引き返せます)考える、ということになります。

そして、これで「修論で安易に事例研究」ってのは完全に避けられます。なぜなら事例を持っていないから。

ついでに修論のハードルをかなり高くして、ここでまともな研究ができない人間を落とすというだけで、ずいぶん志望者を減らすことはできるのではないかと思います。

「志望者を減らす」ことが肝要

何気に書いてしまいましたがこの「ぼくのかんがえたさいきょうの(略)」のキモとなる要素の一つとして、現在の多すぎる志望者を減らすことで、教育を行う上でも就職先を確保できるという上でも、適正な人数に是正できるということが挙げられます。

もちろん、そんなことが簡単にできるはずはありませんが、それでも「空想」レベルですからいいのです。

現行の養成システムにおいては恐らく

学生たくさん→満足な指導がなかなか受けられない→能力が低いまま修士課程修了・資格取得→人余りで就職難→日銭を稼ぐための仕事に就く若者が増える→満足に研修も受けられない→全体的な質の低下→余計に仕事先がなくなり、就職難が深刻になる→日銭を稼ぐための…

という負のスパイラルが出来上がってしまっていると思います。

志望者を減らすことさえ出来れば、この負のスパイラルは容易に断ち切ることが出来るでしょう。

博士課程で何をやるか

博士課程(大学院3年目)では、まず現在の臨床心理士試験相当のものを受験し「仮免許」を取得します。

そして、仮免で路上教習=現場での研修をしっかりと受けます。当然、研修のための制度の整備は必須です。

現在では恐らく大学単位でツテを使ってということになっているはずですが、制度として仮免を持った博士課程の学生に対して現場でのスーパーヴァイズつきで本格的に「研修」を受けさせます。

2年間研修を受けながら、博論も平行してまとめていきます。現場での研修の中で可能であればデータ収集も行います。もちろんクライエントの同意を得て、ですが。

できれば医者における研修医のように、仮免での研修中も給料は出ることにし、その間の公的制度としてのスーパーヴァイズは無料ということにすれば良いのではないかと思います。

その後も当然、現場で働きながらスキルを磨いていくのですが、博論提出とともに、あるいは必要であれば試験も実施して、「仮免許」の「仮」がとれる…ということになります。

くどいようですが「夢想」「空想」です

皆さん、ここまで読んでみていかがですか?

色んな立場の人からの色んな意見があるかと思います。

はっきり言って、自分としてもかなり馬鹿げている、あまりにも現実離れしすぎていると思う部分はありますが、それでいいのです。「夢想」「空想」ですから。

これを踏まえて、次回「7年前に私が考えた理想の臨床心理士養成課程」では、より現実に即した養成課程の案を提示していきたいと思います。

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